この世で一番嫌いな日


 雪が降る季節になると、決まって憂鬱になるのは何故だろう。
 今年も近づいてくるあの日。
 イルミネーションで飾られた街中を歩くと吐き気がしてくる。
 ――…面倒だよなぁ…
 祝ったり、祝われたり。
 何がそんなに楽しいのか、皆笑顔なのだ。
 ただひたすらに楽しそうな笑顔。
 イライラする。
 3日後の12月25日。
 俺は……この日が嫌いだ。


「聖ちゃん、ちょっと見て欲しいものがあるんだけど」
「…はあ、何ですか先輩」
 春樹は「ふふふ」と不気味に笑うと、一枚の紙を差し出してきた。
「…クリスマスパーティ…?」
「そ。25日に2−Eでやることになってさ」
 主催者の名前は佐藤春樹と烏丸鈴鹿になっている。何やらいつも噛み合っていないよう
に見えるこの二人は、「お祭好き」という部分は一致していた。何だかんだで仲は良いのだ。
「もちろん聖ちゃんも……」
「不参加です」
「ええっ!?」
 きっぱり断った聖に、春樹は心底驚いたようだった。
「何か用事とかあったりする?」
「ないです」
「じゃあ、何で?絶対楽しいぞー?」
 ああ、この人も。
 世間一般と同じ。クリスマスになると幸せそうに馬鹿騒ぎする人か。
 何が楽しいものか。
 少なくとも俺にとっては……
「俺、クリスマス嫌いなんです」
「え?」
「単語を聞くだけで吐き気がするんで、俺の前でもうその話題は出さないでくださいね」
 ぽかんとする春樹を残して、聖は部室を出た。

 昼休み。
 春樹はコーヒー牛乳のストローをくわえながら考えこんでいた。
「……なあ」
「……」
「……春樹?」
「……」
「春樹っ!!」
「うわっ!?…えーっと……何、スズくん」
 鈴鹿は丸めたパンの袋を春樹の頭に投げつける。袋は跳ねかえり、机の上に転がった。
「何すんだよ、スズくん」
「いや…静かなお前ってのも気持ち悪いなって思ってさ」
「……」
 どうやら鈴鹿なりに心配してくれているらしい。
 春樹は深く溜息をつき、机に突っ伏した。
「ねぇ、スズくん」
「何」
「クリスマスを嫌いになる理由って、何があると思う?」
「はあ?」
 春樹は鈴鹿に聖のことを話す。鈴鹿は少し首を傾げ、
「嫌な思い出でもあるんじゃねーの?」
「え…」
 それは考え付かなかった。
 クリスマスというと「楽しい」という印象が強いからだ。
「嫌な思い出って?」
「俺がしるかよ」
「うーん……。でもさ、もったいないよな。クリスマスを楽しめないなんて」
「…確かに」
 それには鈴鹿も同意らしく、深く頷いている。
「イヴの夜はあれ?海老名さんと過ごすとか?」
「な…っ!何で急にそんな話になるんだよっ!」
 真っ赤になった所を見ると、一応誘うつもりではあるらしい。
 頑張れと心の中でエールを送ってやる。
 …そういえば、聖はいつもクリスマスを誰と過ごしているのだろうか。
 母親が亡くなったのは4月のことらしいが、彼女はずっと家にいなかったと聞いている。
 それなら一体誰と?
 再び考えに沈む春樹に、鈴鹿がぽつりと呟いた。
「そういえばさ、12月25日って確か……」

 12月25日当日。
 聖は春樹から逃げるように学校を出た。
 買い物袋の中身をテーブルの上に並べ、溜息をつく。
「……買い過ぎた」
 こんなに沢山、一人でどうやって食べるというのだ。
「…何やってるんだろうなぁ、俺……」
 数年前。
 12月25日は特別な日だった。少なからず楽しみにしていたような気がする。
 この日だけは、母が家に帰って来たのだ。
 聖はご馳走を用意し、玄関の前で彼女が来るのを待った。
 そして言うのだ。いつもは言えない言葉を。
"お帰りなさい"
 彼女は"ただいま"と聖の頭を撫でてくれた。片方の手にプレゼントを抱えて。
 一緒に食事をして、沢山話して、一緒に眠る。
 幸せ……だったと思う。
 3年前。
 いつもと同じように玄関で待っていても彼女は来なかった。
 翌日、プレゼントの箱と謝罪の手紙だけが届いた。
 ……電話くらい、してくれれば良かったのに。
 2年前。
 プレゼントすら届かなくなった。
 一人では多過ぎる料理は食べる気にはなれず、結局捨ててしまった。
 1年前。
 来ないとはわかっていても、料理を作った。
 少しくらい……期待する気持ちがあったのかもしれない。
 そしてまた、待っている自分がいる。
 もう絶対に、あの人が来ることはないのに。
 ――……だから、嫌いなんだ。
 数年前は嬉しかった日でも、今はもう裏切られ続けた記憶しかない。
 なら、何故待っているんだろう。
 あの人が帰ってきて「ただいま」と言ってくれる。
 そんな期待なんて、期待したって―――
「たっだいまーっ」
「っ」
 はっと顔を上げた。玄関に立つのは見覚えのある顔。
「なーんて。聖ちゃんってば無用心だなぁ。鍵、開いてたよ?」
「……」
 言葉が出なかった。意味も無く口だけを動かして、やっとでてきたのは、
「……何で……」
「もうすぐパーティ始まるからさ。迎えに。ほら、行くよ」
「え…っ。ちょ…っ、春樹先輩…っ!」
 春樹は聖の手を引き、部屋を出る。
「言ったじゃないですかっ。俺、クリスマスは嫌いだって!」
 訴える聖に、春樹は振り返らずに答えた。
「大丈夫。きっと、好きになるよ」

 2−Eの教室は静かで物音一つしなかった。本当に中に人がいるのだろうか。
 春樹は構わずドアを開ける。彼に続いて中に入り―――
「うわっ!?」
 パパパンッと何かが弾けるような音に、びくっと体を震わせた。色とりどりの紙が舞い、
聖の頭に降り積もる。
「え……」
 教室の中にいたのは鈴鹿や千乃や生徒会の面々。その他、夏樹や宙など顔見知りの人間
が数名。皆、一様にクラッカーを持ち、口々に「おめでとう」と聖に声をかけてくる。
「……何これ?」
 我ながら間抜けな質問だったと思う。生徒会長が満面の笑顔で黒板の方を指差した。
 そこに派手な色で書かれていたのは「メリークリスマス」の文字ではなく……
「HAPPY BIRTH DAY HIJIRI……って、ええ!?」
 聖は皆を見まわし、最後に困ったような顔を隣に立つ春樹に向けた。春樹は聖の肩をぽ
んっと叩く。
「ま、そーいうこと」
「何でこんな……。クリスマスパーティじゃなかったんですか?」
「だってさ、クリスマスって世界中の皆の為のものだけど、聖ちゃんの誕生日は聖ちゃん
の為だけのものじゃん?そっちの方がずっとずっと大事だなーって思って」
「そんなこと言ってお前、朝比奈の誕生日だってこと忘れてたじゃん」
「うわっ、スズくんっ。それは言わない約束!」
「……」
 寂しい思い出しかないから、12月25日なんて大嫌いだった。
 街のイルミネーションやプレゼントを選ぶ人々にイライラして。吐き気がして。
「一人暮らしでは大変だろ。あたしが良い雑貨を選んでやったからな」
「ほら、ボクからのプレゼントだよ。学生なんだから時計くらい持ちなさい」
「マグカップとかで良かった?俺、こういうの良くわかんなくてさ。一応店員に選んでも
らったんだけど」
「このリボン可愛いでしょー。朝比奈クンに似合うと思うなぁ」
「前橋。お前は嫌がらせに来たのか……?」
 両手に抱えきれないほどのプレゼントとか。
 誰かの笑顔とか。
 たった一言の「おめでとう」という言葉とか。
 それは、きっとずっと望んでいたもので。
 ずっと手に入らないと思っていたもので。
「……聖ちゃん?」
 あの人は帰ってこないけど。
 もう帰ってはこないけど。
「うわっ何で!?何で泣いてるの、聖ちゃんっ」
「……」
「えーっと……そうだ!ほら、これっ。唄って踊るサボテン!」
「……いりません。そんな気色悪いもの」
「そんなっ!僕が3時間かけて選んだのにっ」
 何だか妙におかしくて、笑いが込み上げてくる。
 泣いているのか笑っているのか、自分でもわからなかった。
 ただ一つはっきりしているのは、とても嬉しいこと。
「……悪くないです」
「え?」
「……こういうクリスマスなら、俺、結構好きかもしれません」


 12月25日。この世で一番嫌いな日。
 もしかしたら、この世で一番好きな日になるかもしれない。
 そんな予感がした。


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