シーソー


「では、これから文化祭についての話し合いをはじめたいと思います。」
 おおよそ世間一般の学校では、クラス委員がそれを口にした瞬間から、教室は気だる
い沈黙に包まれる。
 確かに、文化祭が嫌いな学生はいない。準備も、結構楽しげに行われるものだ。
(尤もそれは、クラスの女子の関心を引こうと躍起になる男子や、珍しく上機嫌な担任
に取り入って自分の株を上げようとする生徒による、涙ぐましい努力あってのものだが。)
 しかし、企画段階、すなわち「話し合いの時間」では、何故か「盛り上がる」という現
象は滅多に起こらない。たしかに、全く何もない状態から何かを考えだすのは、途方も
無く難しい。それに「○○に向けての話し合い」というのも、何となく幼稚に感じてしまう。
 ただ、ここ、私立桜高等学校は、そんな現象とは無縁のようだ。



「お化け屋敷にしよう。」
 誰が言いだしたのかは知らないが、我が2ーDの学園祭の催し物は、そういう方向に
で決定されつつあった。
 月並み。
 思っても、口には出さない。日頃から培ってきた円滑な人間関係を、こんなことのた
めに崩すのはばかげている。学校生活に必要なのは、十分な学力と人間関係。
 僕としては、クラス単位での小規模な出し物を成功させるよりも、後夜祭のダンスパー
ティーで華麗な踊りを披露することのほうが重要なのだ。何しろ、この学校の設立には
、我が北大路グループの会長である祖父上が大いに関わっている。その孫がダンスもま
ともに踊れないとなると、家名に傷がつく。
 そして何より、僕の自尊心がそれを許さないだろう。
 そんなことを考えていると、ふと、聞き捨てならん言葉が耳に飛び込んできた。
「オバケ役は平等に全員参加でいいですか?」
 刹那、
「駄目だ!」
 考えるよりも先に、その言葉が口をついて出た。クラス中の視線が、自分に集中するが、
最早そんな事は僕にとって問題ではなかった。
 この僕が、オバケ役だと?
「えっと・・・僕は反対です。」
 有り得ない。そんなこと、あって良いはずが無い。
「まず、オバケに変装するのには時間がかかる。たった8種類のオバケをクラス全員で
交代していったら、時間のロスが大きい。」
 北大路グループの御曹司である自分が、何が悲しくてわざわざアカの他人を楽しませ
るような役を引き受けなければならないんだ?こっちは忙しいんだ。
「それに、部活との関係で時間調整の問題もある。」
 第一、人を驚かしたり笑わせたりするのは、馬鹿げた道化がする行為じゃないのか?
「第一、人を脅かすのは、演技力のある人にしか務まらない役目だ。」
 考えたことを素早く脳内変換。極力刺撃的な言葉は避けて、なおかつ言いたいことを
はっきりと示す。
 僕は幼いころから、弁舌を仕込まれてきたのだ。まさかこのクラスの人間に、反論さ
れることは無いだろう。いや、経験上、100%無いと言える。
 僕は自分に言い聞かせると、クラス中を見渡した。
 そして同時に、その自信は一瞬で打ち砕かれることになった。
「それは違うわ。」
 最初、僕は自分の耳を疑った。しかし声の主を見ると同時に、それは妙な納得と諦め
に変貌した。あぁ、こいつがいたか。
 声の主は、たしか青木とか言う、毒舌家で知られる女生徒だった。
 たしか入学当時、家庭の事情を馬鹿にしてきた同級生を徹底的に論破したという、
奇妙な伝説の持ち主。
 彼女は自信に満ちた声で、立て板に水の調子で喋りだした。
「あらかじめ2体ずつの変装道具を用意しとけば、時間ロスの問題は解決できるわ。
それに、部活との時間調整も、どうせ運動部は出店でしょ?都合の良い時間に配置させ
てもらえば良いじゃない。演技力も・・・」
「待ちたまえ。」
 こうなったら、負けるわけにはいかない。司会・進行の係には悪いが、とことん議論さ
せてもらうまでだ。
「キミは簡単に『二体ずつの変装道具』と言うが、そんな金がどこにあるんだ?とても
生徒会からの資金じゃ賄えない。出店も、僕達のクラスだけ『都合の良い時間に配置し
てもらう』わけにはいかないじゃないか。」
「あの・・・発言する時は手を上げてくださ・・・。」
「ちょっ・・・最後まで聞いてから反論するのが礼儀でしょう?」
「発言する時は手を上げて・・・。」
「『どうせ運動部は出店でしょ?』って言い草が礼儀正しいとは思えないな。」
「あの・・・。」
「それとこれとは話が別でしょ?」
「じゃぁキミは、他人に無礼を働く人間に礼儀を尽くせるかね?」
「・・・。」
 もはや進行係は、立場を失っていた。
 それから後は、何を言い争っていたのかは覚えていない。ただ、気付いたときにはチ
ャイムが鳴っていて、疲れ果てた顔の担任が終礼を執り行っていた。



 放課後の廊下は、活気に満ちている。一日の終りだというのに、おかしな現象だ。
 尤も、かく言う僕もこの時間、クラスの連中と途方も無い無駄話を繰り広げるのは嫌
いでは無い。
 ただ、時折、連中が返すアテの無い借金を申し込んでくるとき、結局友情とは金なの
か、と考えてしまうことがある。たかが数百円の金なのに。悪い癖だ。
 今日も、例外ではなかった。テニス部のエースが、漫画の単行本が出るけど小遣いは
ケータイ料金で持っていかれた、と言うので500円ほど貸してやった。返すアテは?
と聞けば、とりあえずなんとかする、と、物凄く頼りない答えが返ってきた。
 結局、友情などこんなものだ。結局、金が一番信用できる。
 どうしようもない虚無感に襲われてじいやの迎えを待っていると、急に、背中が何か
に押されたような感じがした。思わず前に転びそうになり、ムッとして、後ろを振り向く。
 海老名千乃。同じクラスの女子生徒だが、何かの事件で言葉を失ってしまったらしい。
なるほど、だから押すしかなかったのか。
 とはいえ、あんなに強く押さなくても良かっただろう。心の中で呟いて用件を聞くと
、彼女は真っ白いメモ帳を取り出して、何か書き始めた。いかにも彼女らしい、小さな
丸文字だ。
『青木さんに』
『言っちゃ駄目』
『=家庭の事情のコト』
 そんなことなら、百も承知である。
 すると、海老名は更にその下に、『&』と付け足して、
『お金のコト(彼女、結構困ってる)』
「あぁっ!」
 ・・・・・・しまった。
 僕はカッとなると、すぐに「貧乏人め」等の暴言を吐いてしまう。自分でも自覚して
いたはずだし、最近は気をつけてもいた。
 しかし、久々の口論だったので、もしかしたら自分は、そう口にしていたかも知れな
い。いや、実際にしていたのだ。しかも、青木の前で。
 海老名に礼を言うやいなや、僕は校舎に向かって戻り始めていた。
 僕としては、別に青木が傷付こうが、他人からどんな目で見られようが構わない。
 ただ、僕の自尊心が、それを許さないのだ。



 校門の近くで、青木を見つけた。彼女もこちらに気付いたらしい。お互いの間に、
気まずい空気が流れる。馬鹿馬鹿しい。昔の恋人同士じゃあるまいし。僕が口火を切った。
「アオキ・・・。」
「オオギ、よ。」
 ・・・・・・?
「どーせ、さっきの口論のこと謝りに来たんでしょ。馬鹿馬鹿しい。そんなことでいち
いち腹立てるほど、センチメンタルな少女に見えたかしら?」
 ・・・から元気。
 いや、違う。
 この女・・・本当に傷ついていないようだ。本気で。一センチたりとも。
 判断した瞬間、急に可笑しさがこみ上げてきた。
 からりと、言い放つ。
「フン、この僕が謝罪?ちゃんちゃら可笑しいね。」
「『ちゃんちゃら可笑しい』って言い回し、使わないわね、今日び。」
「・・・とにかく、僕ぁ別の用事で来たんだ。勘違いしてもらっちゃ困る。」
「?」
 青木が、ようやく困惑の表情を見せた。
「つまりだ・・・。」
 一瞬間を開けたあとで、ゆっくりと口を開く。
「Shall we dance?」






「いや、興味ないから。後夜祭は片付けがあるから出られないし・・・。」
 ・・・・・・・・・あれ?


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