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 それなりの痛みは覚悟していたのだが。
 気付いた時には見知らぬ街の真ん中に立っていた。
 いや…最初は見知らぬ地だとは思わなかった。
 立ち並ぶ高層ビル。
 行き交う人々。
 車のクラクション音。
 東京都内ではよく見られる光景だ。
 でも何故。
 今まで都内とはいえ、外れにある学校にいたはずなのだ。いつの間にここまで移動した
というのだろう?
「……どの辺だろ、ここ……?」
 とりあえず学校に戻ろうと思った。駅を求めて歩きまわる。
 歩いているうちに妙なことに気付いた。
 人の声がしない。
 これだけ沢山の人が居るのに、笑い声や話し声。何一つしないのだ。
 直感的に思った。
 ――ここは東京なんかじゃない
 急に怖くなって辺りを見まわす。
 列を成しているのは無表情な顔・顔・顔。それは明らかに生きている者のそれではなく
て。
 ――……ああ、そうか
 すっと怖さが引いていった。
 何だ。普通に考えればいいことではないか。
 ここはあの世。
 あたしはちゃんと死ねたんだ。
 誰か後悔しただろうか。きっとあの人達は罪悪感に襲われているに違いない。
 ――ざまあみろ、だわ
 ああ、でも何故だろう。達成感と同時に虚しさも感じる。
 父も母も泣くだろう。でも、それを嬉しいとは思わないのだ。彼らの声が聞こえてくる
ようで。

『娘が自殺だなんて……世間にどう顔向けすればいいのっ』

『まったく……最後まで迷惑な娘だ』

 ……結局、死んでも同じ。何一つ変わりはしない。
 あの人達は"あたし"を見てはくれないのだ。
「…やっぱり、死んで正解かな……」
 あんな世界、生きていても仕方が無い。
 誰も自分を見てくれないのなら、生きていることに何の意味がある?
 ――ああ、早く消えちゃいたいな
 意識も何もかも無になればいいのだ。もう、何も考えたくないのだから。
 だが、想いとは正反対に意識ははっきりとしていくばかりだった。
 死んだはずなのに、腹が減ってくる。
 辺りは暗くなり、店はほとんど閉まっているようだ。仕方なく寝る場所を探した。眠気
まで感じて、まるでまだ生きているようではないか。
 妙な疲れを感じ、運良く見つけた空家に潜り込むと、床の上に転がりそのまま眠りにつ
いてしまった。

 目が覚め、時計を見るとすでに昼をまわっていた。
 のろのろと立ち上がり、空家を出る。目の前に飲食店らしきものを見つけたので中に入
ってみた。メニューというものは存在しないらしく、席につくとすぐに料理が運ばれてく
る。一口食べて、吐気を覚えた。
 不味い。
 慌てて化粧室に駆け込み、全て吐き出す。胃液まで出てきて涙が溢れた。
 吐くことなんてもう日常茶飯事だったが、苦しいものは苦しい。
 死んでまでこんな思いをすることになるとは。
 ――きっと、神様もあたしのこと、嫌いなんだ
 嫌い
 嫌い
 大嫌い
 神様なんて
 人間なんて
 自分……なんて


「あ…あの…っ。僕、何かしたでしょうか……?」
 飲食店を出てからしばらく歩いていると、道の真ん中に人だかりができていた。気持ち
悪さは消えていなかったが、気になったので覗きこんでみる。
 中心には小柄で眼鏡をかけている少年が居た。不安そうな顔できょろきょろと視線を漂
わせている。この街の人々とは随分と違った印象だ。
「お前、今何と言った?」
「ぼ…僕はただ、暑いのでどこか涼める場所はないのかと訊いただけで……」
「お前、機械化していないな?西地区の者か」
「…は……?」
 何だか妙な雰囲気だ。胸の奥がざわざわと音をたてる。
 一人の男が少年の腕を掴んだ。
「一緒に来るんだ。処置をする」
「え……っ。わっ、ちょっと…っ!」
 少年が抵抗すると更にもう一人の手が彼に伸びる。見て見ぬ振りをして、通り過ぎれる
ような状況ではなかった。
 ――まったく…面倒ね…!
 舌打ちをすると人ごみの中に体を滑りこませる。
「ちょっとあんた達っ!嫌がってるじゃないの。離しなさいよ」
 少年のきょとんとした目と、人々の冷たい視線が一気に集まった。
「お前も西地区の者か」
「は?あんた何言って……って、ちょっと!気安く触らないでよ……ねっ!」
 伸ばされた手を叩き落し、右足を思いきり振り上げた。そのまま男の横面に叩きこむ。
スカートの中身が見えたかもしれないが、そんなこと気にしている場合ではないだろう。
妙な手応えを感じ、よろめきながら足を地面につく。
 男は倒れていなかった。ただ、首がなくなっていた。
「は……?」
 ごつっという音で視線を下に落とすと、転がっていたのは男の首―――
「きゃあっ!?な…何よ、これえ……っ」
「…やっぱり……機械だったんだ……」
 少年がわけのわからないことを呟いている。まったく状況に頭がついていけていない。
 ただ心のどこかが「逃げろ」と必死で訴えていた。反射的に少年の腕を掴み、そのまま
走り出す。
 逃げなくちゃ、逃げなくちゃ、逃げなくちゃ。
 背後から足音が無数に聞こえてきたが振り返らなかった。
 振り返ったら最後、足が竦んでしまうだろう。
 今だって、怖くて怖くて仕方がないのだから。
「あ…あのさ…。君、手が震えてるけど……っ」
「うるさいわねっ。て、いうかあんた、もっと速く走れないわけ!?」
「む…無茶言わないでよ…っ」
 もう息が切れているらしい。このままでは確実に追いつかれる。
 どうする?
「可愛い顔して、なかなかやるじゃねーの。そのまま真っ直ぐ走れよ」
 どこかから声がした。
 誰だか知らないが元からそのつもりだ。
「は……白兔くん……!?」
 少年が呟くのが聞こえる。どうやら彼の知り合いらしい。
「誰なの?」
「僕も昨日会ったばかりなんだけど……」
「とにかくそいつが足止めしてくれるのね?」
「た…多分……」
 それならもう何も考える必要は無い。走るだけだ。
 前へ前へ進み、後ろから足音が完全に聞こえなくなるのを待って、路地裏に入りこむ。
そこでやっと、少年の手を離した。
「ここまで来れば大丈夫でしょ」
「し…死ぬ……」
 その場に座り込んでしまう少年に、顔をしかめた。
「それでも男?」
「放っておいてくれよっ。僕は頭脳派なんだ」
「あ、そう」
 少年は不機嫌そうに眼鏡を押し上げた。
「君はどうやら僕達と同じみたいだね。他にもいるとは思ったけど、こんなに早く会える
とは思わなかった」
「……何の話?」
「名前……訊いても良いかな」
 眼鏡の奥に見える瞳。頼りなげな光を放つそれは、何かに縋る様に揺れていた。捨て犬
のような印象を受けて苦笑しかける。
「…桃。六戸桃(ろくのへ もも)よ」
「歳とか訊いても大丈夫?」
「17だけど」
「……そうか……」
 少年は視線を下に下ろし、何やらぶつぶつ呟いてからもう一度桃を見上げた。
「僕は三橋橙馬(みはし とうま)。同じく17歳。それで、さっきのは―――」
「二見白兔(ふたみ はくと)。じゅーなな。よろしくな」
 ひらひらと手を振りながら現れたのは派手な金髪に学ラン姿の少年。
「…あいつらは?」
「適当に巻いてきたから大丈夫だろ」
 白兔の答えに桃も橙馬もほっと胸を撫で下ろした。
 白兔は橙馬の頭を軽くはたく。
「いたっ」
「一人で先走ったりするんじゃねーぞって言ったよな?」
「……だってさ……」
「まあ、助かったからいいけどよ。お前、おれに借りができたな」
 にやにや笑う白兔に橙馬は口を尖らせた。
「いつか倍にして返してやるよ」
「……ねえ」
「ん?」
 二人の視線が桃に向く。
「状況がさっぱり飲み込めないんだけど。ここってあの世じゃないの?」
「んー。おれ達も最初はそう思ったんだけどよ。どうも違うみてーなんだ」
「じゃあ何なのよ?」
「……これは僕の仮説だけど」
 橙馬は立ち上がり、自分達が見てきたこと、そこから考え付いたことを語り出した。
 白兔と橙馬がこの場所に来たのは昨日のこと。やはり何が何だかわからないまま、気付
いたら街の真ん中に突っ立っていたらしい。だいたいの時間を聞いてみたら、桃とほぼ一
致していた。やはりこの街の異常さには真っ先に気付いたという。
 二人が出会ったのは日が暮れかけた頃のことで、お互いまともな人間がいることに安堵
し、行動を共にすることに決めたそうだ。
 とりあえず桃と同じようにここがあの世ではないかと考えていた二人は、相手の心臓の
音を聞き、体が温かいことを確認した。
 自分達はまだ生きている。ここはあの世じゃない。
 少しでも手がかりが掴めないかと、街の中を歩きまわった。立ち並ぶ店のショウウイン
ドウには、人の腕や足の形をした機械のパーツや妙な形をしたロボットが飾られていた。
「表情一つ動かさない人々、機械のパーツ。僕はここにいる人達は皆、機械なんじゃない
かと考えた」
「まったくもって馬鹿らしいけどな」
「でも、さっきので確信できたよ」
 さっきの。
 桃は「ああ」と頷く。蹴り飛ばした男のことだ。取れた首からは血が流れることはなく、
赤や青のコードのようなものが覗いていた。
「間違いなくここにいる人達は皆、機械だ。そして誰に訊いてみても口を揃えてここは"
東京"だと言っている」
「東京……?」
 ここが?
「どう考えても僕らの世界の東京とは違うよね」
「まあ、そうだな」
「思うに、ここって未来の世界なんじゃないかな」
「未来い?」
 桃と白兔は同時に顔をしかめる。
「おいおい。そりゃいくらなんでもぶっ飛び過ぎてねーか?頭大丈夫かよ、橙馬」
「僕は真面目に言ってるんだ。それに最初に仮説だって言ったじゃないか。そう考えると
全部説明がつくっていう話だよ」
「そうは言ってもなあ……」
 白兔は納得がいかないというふうに腕を組んだ。桃は通りの電光掲示板に何となく視線
を移し、目を見開く。
「未来だとして、どれくらいの時代なんだ?」
「……2195年」
「は?」
 桃は電光掲示板を指差した。橙馬が眼鏡を押し上げ、白兔は目を細める。
 現在の時刻・2195年7月26日午後2時42分。
 乾いた笑いが白兔の口から漏れた。
「笑えねー冗談だな」
「大分信憑性が増したね」
「でも何でこんなことになっちゃてるのよ?」
「それはわからないけど……。物語の中だとこういう場合、僕達には何かしら共通点があ
るはずなんだ」
「共通点……」
 3人は顔を見合わせ、ほぼ同時に口を開く。
「17歳?」
「それが何だってーんだよ」
「さあ?でも何か意味があるのかもしれない」
 あともう一つ共通していることは、気付いたらここに居たということだ。
 どの道3人だけではこれといった確信は持てなかった。
「…まだ、いるんじゃないかな。僕達と同じ状況の人」
「探してみるか」
「……そうね」
 ここで考え込んでいても仕方が無い。結論が出た3人は周りに先程の男達が居ないのを
確認すると、路地を出た。歩きながら橙馬が口を開く。
「僕、西地区っていうのがどうも気になるんだ」
「西地区?」
「さっきの男達が言ってたんだ。"お前機械化してないな。西地区の人間か"って」
「機械化……ねえ」
 首を傾げる白兔に、橙馬は眼鏡を上げる。自分の考えを言う時の彼の癖らしい。
「多分、この街の人達は皆機械化してるんだと思う。西地区にはまだ機械化していない…
…普通の人間がいるんじゃないかな」
「益々信じがたい話になってきたな……」
「でも行ってみる価値はあるんじゃないの。このまま街中歩いててもどうにもならないわ
よ」
 桃は白兔の同意も聞かず、歩調を速めた。西地区といっても方角がわからない。何か目
印になるものを探さなくては。
「へえ、行動派なんだな、桃ちゃん」
「……別に」
 ただ、一刻も早くこの状況から脱出したいだけだ。
 これ以上、生きていたくはないのだから。



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