数時間歩きまわり、見つけたのは20階建てのビジネスホテルだった。宿泊施設はどう やらここしかないらしい。 「お金は?」 「あるにはある」 「でも軽食屋はお金いらなかったよね。ここもタダだったりするのかな…?」 「さあな」 自動ドアをくぐるとロビーはがらんとしていた。利用者はあまりいないようだ。フロン トで鍵をもらい、エレベーターに乗る。 「これからどうする?」 「とりあえず今日はゆっくり寝て、明日また情報収集。それしかないっしょ」 「……そうだな」 部屋は広くも狭くもないごくシンプルなツインルームだった。ただし、空調や冷蔵庫は 設置されていない。ベッドが二つに収納スペースがいくらか。トイレとシャワーはあった が、浴槽はなかった。 「……変な部屋」 朱鷺が顔をしかめながらあちこち探っている間に、紫苑はテレビをつけている。チャン ネルを何度か変えたようだったが、聞こえてくるのは抑揚の無い声だけ。 「どう?」 「チャンネルは全部で四つ。全てニュースだ」 「…やっぱ変だね、ここ」 紫苑は何も言わない代わりに肩を竦めて見せた。それでも何かわかるかもしれないと、 テレビはつけっぱなしにしておく。話している内容は株の情報だとか交通情報だとか工場 で機械のトラブルがあっただとか。退屈な内容ばかりで欠伸が出そうになる。それでも手 がかりを探す為、地名や固有名詞には気を配っていた。 「……これって日本語だよね」 「ああ」 「て、ことは。やっぱりここ日本だよね」 「ああ」 「うーん……?」 本当にここが紫苑が訊いてきた通り「東京」だとしたら。 出てくる地名は足立区だとか千代田区だとか豊島区だとか。 あとは何があったっけ……? まあ、とにかくそういうのだ。 しかし先程からアナウンサーが機械的に吐き出しているのは「南地区」「東地区」「西地 区」「北地区」「中央地区」の5つだけ。 ――どこだよ、それ。 首を傾げる朱鷺の名を紫苑が呼んだ。 「何?」 「書くものはあるか」 「ああ…うん」 荷物を漁り、ノートとシャーペンを渡してやる。彼はテレビを凝視したままシャーペン を走らせていた。 邪魔するのも何だったので、朱鷺は先にシャワーを浴びてしまうことにする。髪の毛が 砂っぽくて気持ち悪い。殺風景なバスルーム。トイレが右端にあり、左端にシャワーがか けてある。蛇口はどこだろうと首を巡らせた。 ――ない その代わりシャワーの横に青いボタン程度の大きさのスイッチがあった。押してみると 水が出てくる。じっと湯になるのを待ったが、一向に温かくなる気配は無い。他のスイッ チがないか探してみたが見つからなかった。 仕方ないので髪だけ手早く洗い流す。備え付けのタオルでざっと拭いて服を着ると、一 回くしゃみがでた。半袖で過ごすような陽気とはいえ、水シャワーはさすがに辛いものが ある。 ――…風邪ぶりかえしたかな…… 『だから気をつけろって言っただろ』 と慌てて熱を計り出す律矢の姿が目に浮かび、苦笑した。 バスルームを出ると、紫苑がベッドの上でノートを睨みながら唸っていた。 「何かわかった?」 紫苑は何も言わず開いたままのノートを差し出してくる。 「地図…?」 「テレビの内容を手がかりに描いてみた。……どう思う?」 「どう思うって……」 上を北として、それぞれの方角に北地区・東地区・南地区・西地区。それらに囲まれて いるのが中央地区。中央地区には政府の建物が集中し、北地区は工場だらけ。東地区は住 宅が並び、学校や店等もここ。南地区はビジネス街で、その中央地区寄りの場所にこのホ テルは存在するらしかった。西地区はまったくの空白。そしてその地区らを囲むのは―― ― 「……紫苑、これって本気?」 「おおまかには合っていると思うぞ」 「でもこんなの東京じゃないよ。砂漠に囲まれてるなんて……有り得ないだろ」 東京の周りは他の県で囲まれているはずだ。それに東京湾はどこにある? 「だが少なくともここにいる者は皆、それを"東京"と呼んでいる」 「うあー。もう!わかんねーっ!」 朱鷺はノートを放り出すと、ベッドに潜り込んだ。 「寝る」 「おい」 話は終わってないぞとでも言いたげな紫苑。 「ごめん。俺、もうゲンカイ。これ以上考えると頭パンクしそう。続きは明日聞くから今 日はもう勘弁してよ」 「お前は……緊張感の欠片もないな……」 「そんなことはないけど。まあ、どうにかなるって。生きてさえいればさ」 そう、生きてさえいれば。終わってしまうことはない。確実に何かが変わっていくはず だと、律矢はよく言っていた。 ――……俺も、そう思うから。 諦めているわけではない。考えたくないわけではない。 深く考えたり深刻に悩むのは苦しいから。息が詰まって壊れてしまいそうになるから。 気楽に構えているのは強いからではない。弱いからなのだと朱鷺は良く知っていた。 「あ、紫苑。シャワー浴びるなら気をつけた方がいいよ。水しか出ないから」 「……だろうな」 「え?」 「いや……何でもない」 「…?」 問い詰めてみたい気もしたが、すぐに眠気が襲ってくる。 瞳を閉じ、あとは闇に落ちるだけ――― 風が制服を揺らす。すうっと息を吸いこみ、静かに吐き出した。 気持ちは落ち着いていた。 嘘ばかりで塗り固められた世界。去ることに何を躊躇う必要があるだろう。 「六戸っ、やめろ!何で……」 「何であたしが?あたし不良少女ですもんねえ。こんなことするわけないって油断してた でしょ?」 ポケットから煙草の箱を取り出し、放り投げて見せる。 「センセ。やめろと言うなら訊きますけど、あたしが死んで悲しむ人間っていると思いま す?先生は泣いてくれるんですか?」 「当たり前だろう」 自然と口の端が吊り上った。 嘘ばっかり。 ほら、あたしは独りぼっちだ。 だったらいいじゃない。死んでもさ。あんた達が困ることなんてないんでしょ? 誰にも必要とされないのなら、生きていたって仕方が無い。 ねえ、先生もそう思わない? こんなつまらない世界、捨ててしまうのは恐くない。 最期くらい、皆の心に残るように派手に死んでやろうじゃないの。 これがあたしの復讐。この世への復讐。 悲鳴の海の中に、あたしは飛び込んだ。 「うー……」 上半身を起こし、朱鷺は頭をかいた。どうもここに来てから夢見が悪いような気がする。 内容はほとんど覚えていないのだけど。 「……今、何時だ……?」 「10時だな」 小さくなっていたテレビの音量を上げながら紫苑が答えた。内容は変わらずニュースだ。 「さっさと顔を洗って来い。すぐに出る」 朱鷺はのろのろとベッドから降りながら、「今日は何をする気だ」と尋ねる。紫苑はごく 真剣な口調でこう言った。 「生きた人間を探す」 その話を朱鷺はすぐには信じられなかった。 ここにいる人間は皆、機械ではないかと言うのだ。 「確かに皆無機質っていうか、人間離れした感じはするけど。さすがにそれは有り得ない だろ」 ケラケラと笑い飛ばすと、紫苑が無言で睨んでくる。 冗談ではないらしい。 「この街には医者や病院が存在しない」 「え?」 「代わりにあるのは機械の修理屋とパーツ屋だ。しかもパーツ屋には人の手や足の形をし たものが並んでいた」 テレビから得た情報なのだろう。そこまで言われてしまうと言葉の返しようがない。 確かにあれが全て機械だというのなら。 感じた違和感。生の臭いがしない街。水しか出ないシャワー。おいしいとは思えない食 事。ニュースしか放送しないテレビ。 全て一応の納得はできる。 「で…でもさ。皆ロボットってSFじゃあるまいし。現代の日本じゃ有り得ないだろ」 「現代の日本ならな」 「…ちょっと待って、まさか紫苑―――」 紫苑は何も言わない。どうやら彼の結論は揺るぎ無いものらしい。 朱鷺自身、他の仮定が浮かばなかったの渋々折れることにした。 「わーかったよ。わかりました。もし仮にそうだとして、どうやって生きた人間を探すん だよ?心当たりとかあるわけ?いるかどうかもわからないのに」 「お前は?」 「え?」 「お前に心当たりはないか?」 「心当たりっていったって……」 この街に来てからのことを思い返してみる。すると一つ頭に引っ掛かったことがあった。 「…そういえば、あの子……」 「あの子?」 「ほら、昨日軽食屋に入ったじゃん。丁度店を出る時…紫苑は見てなかったと思うけど、 急に立ち上がった女の子がいたんだ。その子、口を手でおさえてトイレにかけこんでたん だけど……もしかしたら食事が不味くて吐きに行ってたのかなあ…と」 顔ははっきりと見なかったが茶に近い髪をした少女だ。紫苑は無言で頷くと、荷物を片 手に立ち上がった。どうやら少女を探すつもりらしい。 ――でも、そう簡単に見つかるかなあ……? さっさと部屋を出て行ってしまう紫苑を朱鷺は慌てて追いかけた。