確かにそこは街だった。高層ビルが立ち並び、雰囲気は東京のど真ん中に近いものがあ る。砂漠の先に急にこんなものがあるのには違和感を覚えずにはいられなかったが。 「……何かすっごい空気悪くない……?」 「…そうだな」 「…気持ち悪い……」 息を吸う度にむせ返るような空気が喉に絡みつき、吐き気を抑えるのに必死だ。ハンカ チを口と鼻に押し付け、なるべく息はしないようにした。なのに、街中を歩く人々は平然 としている。 「うう…みんな化け物だ……」 「辛いようならお前はここにいろ。おれが情報収集してくる」 「…紫苑は平気なの?」 「お前よりはな」 短く答え、紫苑は雑踏に紛れこんでしまった。朱鷺はふらふらと道の端に座り込む。街 の様子を改めて眺め、ある疑問を感じた。 音が少な過ぎやしないだろうか? 車は走っているらしく遠くからクラクションの音がする。 人々の足音。ドアの開閉の音。何が足りない? ――……声だ 人の声がその数の割に極端に少なかった。休日の都内並に人は居るのに、楽しそうな笑 い声や女の子同志のお喋りの声はまったく聞こえない。聞こえるのはどこか無機質で事務 的な声のみだ。朱鷺の目の前を過ぎていく人々は、何を考えているのかわからない目でた だじっと虚空を見つめている。友人同志に見える女の子達も互いのことなど少しも見てい なかった。 異様な光景にぞっとする。 何だ?何なのだ、この街は? 紫苑だって表情はほとんど変わらないし無口である。 でもそれとは違う。根本的に違う。 「ボール、取ってもらえる」 声にはっと顔を上げた。何時の間にか目の前に5、6歳ほどの子供が立っていた。 「ボール?」 足下を見て「ああ」と頷く。朱鷺がサッカーボールを手渡してやると子供は――― 「ありがとう」 踵を返し走り去っていく子供の背中を、朱鷺は目を見開いて凝視することしかできなか った。 笑った。笑ったのだ。ただし、貼りつけただけの仮面のような笑顔で――― 「っ」 何かに弾かれたように立ち上がり、走り出す。 気持ちが悪い。吐き気がする。 肩がスーツ姿の男にぶつかった。男は朱鷺をまったく気にする様子もなく歩き続けてい る。悲鳴を喉の奥で抑え、ただ夢中で走った。 得体の知れない恐怖。人ごみの中で感じる孤独感。どうして、こんな――― 「紫苑っ!」 やっと目的の人物を見つけ、その腕を掴む。紫苑は一瞬驚いたように目を見開き、怪訝 そうな顔をした。 「どうした?顔色が悪い」 「紫苑っ……。この街……おかしいよ……っ」 呼吸が整わないまま訴える。 「おかしい?」 「何だろう……。よくわからないけど、生きた臭いがしないっていうか…。気味が悪いん だ」 「……」 紫苑はそれには応えずに情報収集の結果を話し始めた。 「とりあえず話が通じたので、こいつらは日本人らしい。何人かにここはどこかと訊いた ら、揃ってこう答えた。"東京"と―――」 「…東……京…?ここが!?」 信じられないというふうに首を横に振る。 「有り得ないよ、紫苑。東京に砂漠なんてない」 「ないな」 「どうなってるんだよ。も〜っ」 ここが地球だとわかって安心したというのに、一気に不安の方が大きくなってしまった。 今の状況はどう考えても普通ではない。いや、最初から普通ではなかったのだが。 この状況をどう説明できる? 「……どっきり?」 「本気でそう思うのか」 「思わない」 あくまで希望。可能性は限りなく0に近い。 他にどんな仮説が立てられるだろう。律矢だったら一つや二つ、簡単に出してくれるの かもしれない。ポケットの中の携帯をぎゅっと握り締めた。 今はどうするのが最善の策なのだろうか。 深く息を吸いこんで一気に吐き出す。頭の中がすっきりしてきた。 「……まあ、悩んでても仕方ないか。とりあえず食べるもの探さない?」 「切り替えが早いな」 呆れたように紫苑。先ほどまで取り乱していたくせに、とでも言いたそうだ。 「そういう性格なんだよ。それに焦って状況が変化するでもなし。だったらできることを した方がいいよな、うん」 気持ち悪さは拭い去れないけれど。 それでも前向きに。その方がきっと良い方向に進むはずなのだから。 「食べるものなら心配はなさそうだ。さっき軽食屋を見つけた」 「ほんとっ?」 「ああ。あまり雰囲気は良さそうではなかったがな」 「別にいいよ、それくらい」 この街全体の雰囲気がとてつもなく異様なことはわかっている。 それに贅沢なんて言ってられないじゃないか。 「マズイ」 「まずいな」 「何だよ、これぇ。人の食べるもんじゃないって!」 贅沢なんて言ってられないとは言っても、言ってやりたくなることもある。 店内はどこにでもあるようなレストラン風だったが、やはり普通ではなかった。メニュ ―が一切ないのだ。周りの客を見てみたら、皆無言で同じものを食べているようだった。 席で暫く待って、ウエイトレスが運んできたものも同じ。炒飯(のようなもの)と一杯の 水である。水は妙に鉄臭く、炒飯はほとんど味がしなかった。 「人の食べるものじゃない……か」 紫苑がぼそりと朱鷺の発言を繰り返す。 「何?」 「本当に人じゃなかったりしてな。ここの奴ら、全部」 「そんなこと……」 あるわけないと否定はできなかった。 それは朱鷺も思ったことだ。 この街は生きている人間の臭いがしない、と。 行き交う人々はどこか無機質で非人間的だった。 「…やっぱ気味悪いね」 「同感だ」 それでも空腹は誤魔化しようがないので、炒飯は無理矢理口の中に押しこむ。水で強引 に流して、ふうと息をついた。 その時――― ガタッと音をたてて入り口に近い席に座っていた少女が立ち上がった。彼女はそのまま 洗面所にかけ込んでいる。 「…どうしたんだろ、あの子」 「さあな」 少女の方には視線をやらないまま紫苑は相槌を打った。 「それより食べ終わったなら出るぞ。寝床を探さないとならない」 「ああ……うん」 紫苑がさっさと歩いていってしまったので、気になったものの朱鷺は慌てて彼の後を追 った。