夢を見ているのだと思った。 目を開ければそばに律矢がいて、「遅刻するぞ」と顔をしかめてみせるのだ。もしそれで も寝たふりを続けていれば、彼は強行手段にでる。口を押さえ、鼻をつまみ、あとは我慢 比べ。 十秒、二十秒、三十秒――― ちょっと待て、さすがに苦しい。 いつも律矢は口は完全に塞いでも、鼻は軽くつまんでくれる。だから本気で息ができな いということはないのだ。1分もすれば朱鷺が諦めて目を開けることがわかっているから。 朱鷺は空気を求めるように右手を動かした。何か温かくてザラザラしたものを掴む。そ れがシーツではないことは半分寝たままでもわかった。だんだん意識がはっきりしてくる。 今、自分が家にいるはずはない。ならこの口と鼻をおさえている手は何だ。 ――誰だか知らないけど、本気で死ぬ……!! 朱鷺は耐えきれず上半身を起こした。手からは開放されたが――― 「でっ!?」 ごんっという音と共に頭のつむじ辺りに激痛がはしる。思わず抱え込んでいた。 いったい何だというんだ。 顔を上げてみると、そばに男が座っていた。俯き、額をおさえているので顔はよくわか らない。この男が朱鷺の口と鼻を塞ぎ、彼が急に起き上がったのでその頭に額をぶつけた のだろう。 「えー……っと。その、すいませ……」 前髪の間から思いきり睨まれた。鋭く冷たい目に、思わず喉の奥で短く悲鳴をあげる。 次の瞬間。胸倉を掴まれていた。 「わっ……何!?」 男の顔が間近に迫ってくる。少年と青年の間くらい……歳で言ったら朱鷺と同じか、そ れより一つ上か。街中を歩いていたら女の子が放っておかないくらいの容姿だ。それと同 時に冷酷な雰囲気が人を遠ざけていそうではある。 彼は低く、それでいて胸に強く響く声で言葉を紡いだ。 「……ここはどこだ?」 「え?」 「ここはどこだときいている」 聞かれて始めて、朱鷺は周りを見た。 一面白い世界。先ほど手に握ったものは砂……? 「えーっと……砂漠…?」 深く考えずに答えると、相手の手に力がこもった。 「ちょ……、苦し……っ」 「そういうことをきいてるんじゃない」 「……」 彼の真剣な目に朱鷺の思考回路がゆっくりと働き出す。 飛行機に乗っていたはずだ。友人二人と沖縄旅行。 初めて乗る飛行機にはしゃいで、騒いで。 スチュワーデスに飲み物を頼んだところで、急に機体が揺れた。混乱していて機長の声 はあまり聞き取れなかったがエンジントラブルらしい。隣で「大丈夫。飛行機はそう簡単 に落ちないよ」と翔が言ったのを覚えている。 だが、落ちたのだ。 まだ体に残る落下感。 人々の悲鳴。だがそれも何時の間にか聞こえなくなっていた。 それから…… それから、どうした? 目が覚めたら何が何だかわからないまま胸倉を掴まれている。 「……どこだろ……?ここ……」 呆然と呟いた朱鷺に、彼は手を離し溜息をついた。 「え…?あれ…?何、どうなってんの?」 「それを俺は訊きたかったんだよ」 「ああ、そっか。そうだよね……」 視線を漂わせ、少し離れた所に自分の荷物を見つけた。膝と手で歩いて拾いに行く。青 いリュックは砂だらけだったが、中は無事なようだった。 荷物はあった。あとは…… 「ねぇ」 「何だ」 「他に人って……」 「知らないな。気付いたら砂漠の真ん中に倒れていた。しばらく歩いてみたらお前を見つ けた。その間、誰も見ていない」 「そう……」 翔と創太はどうしたのだろう?他の乗客は?落ちた機体はどこに行った? 自分だけ、こんな所にいるのはどう考えてもおかしい。それに、もし落ちるとしたら海 だったはずだ。 砂を掴む。そのまま掘ってみる。 「……何をしてる」 「いや……誰か埋まってるかも、と」 「それは本気で言ってるのか?」 「…だよね」 無意味なことはやめて、リュックの中から携帯電話を取り出した。電源をつけてみる。 アンテナは三本。まずは翔にかけてみた。聞こえるのは「ツーツーツー」という虚しい音 のみ。続いて創太。結果は同じだった。 ――まさか二人とも無事じゃないんじゃ…… 生まれた不安は首を振って消す。試しに自宅にかけてみた。今日は休日だから律矢がい るはずだ。が――― 「あれ……?何で……」 「無駄だ。俺も試したがどこにもかからない」 「そんな……」 言われても信じられなくて色々な所にかけてみたが、繋がることはなかった。肩を落と し、携帯をリュックにしまう。砂をはらうとのろのろと立ち上がり、それを背負った。 「どうする気だ」 「じっとしてても何にもならないよ。ここがどこだかさっぱりだけど、俺達だけしかいな いってことはないと思うし」 「…随分落ちついているな」 「順応力の高さには自信あるんだ」 正直、落ちついてはいない。不安で不安でたまらない。だがその場その場でどう行動す ればいいか冷静に考えることはできる。長年のうちに培われた特技だった。 「君はどうする?一緒に行く?」 少年は無言で立ち上がり、肯定に代える。 「名前、訊いてもいいかな。俺は五島朱鷺」 「……四方紫苑(しかた しおん)だ」 握手しようと差し出した手は振り払われ、紫苑はさっさと歩き出してしまう。 朱鷺は肩をすくめ、その後に続いた。