の中に


 人はどのような時に逃げるのか。そんなの答えは決まっている。

 追いかけられている時であろう。

「コトハ。まだ大丈夫?」

「あ…はいっ!へーきです!」

 ハルカはコトハの手を引きながら走っていた。そのすぐ後ろを獣の牙が追いかける。

 ――こんな魔物、ほんとはすぐに倒せるけど……

 先ほどからどうも何かが引っかかるのだ。その”何か”の正体がわかるまで逃げ続ける

のが得策だとハルカは判断していた。

「…?あの…ハルカさん。これって……」

「あれ……?」

 行き止まりにぶち当たり、ハルカ達は足を止めた。来た道を振りかえる。

 ……いや、行き止まりではない。

 そこは部屋だった。10m×10mほどの正方形の部屋。四隅にぽうっと灯りが灯って

いる。いつの間に迷い込んだのか。

「……なるほど。そういうことね」

 引っかかっていたものが何だったのか、やっと理解できた。

「どういうことですか、ハルカさん?」

「あの魔物はオレ達をこの部屋に来るように誘導してたんだよ」

「誘導って…何の為に?」

「そんなの……決まってる」

 不敵に笑うハルカ。

「ここに一番最後の謎があるんだよ」

「最後の謎ですか…?」

「ああ。まぁ、予想するに―――」

 ハルカは前方5mほどの場所で動きを止めている魔物を見据える。

「あれを倒せば何か起きるんじゃないかな」

 それなら最後の謎を解く者がいなかったのも納得できる。魔法士が消えた今、これほど

の魔物を倒せる人間はそうそういない。何の為のものかは知らないが、この遺跡を造った

のはおそらく500年以上前の者だろう。

「倒すって…倒せるんですか?」

「うん。まぁ、仕方ないか。この状況じゃ……」

 ハルカは右手を前に突き出した。

「なるべく抑え気味でいくけど、飛ばされないように注意しろよ」

「ふえ?」

 コトハの返事をきくのよりもはやく、ハルカは頭の中でイメージを組み立てる。すぅっ

と息を吸い込み、

「消え去れ!!」

 掛け声と共に、ハルカの手のひらから光が迸った。

 

「…あのさ、セト。何かかぶるもの持ってない?」

「え?ああ……」

 セトは目の赤い楔の頭を見上げた。そこには銀色の狐に良く似た耳が二本、ぴんと立っ

ている。変身がとけている状態でも、この耳だけはどうしても消すことができないのだ。

いつもは布を適当に巻きつけて隠しているのだが、それもどこかへ行ってしまった。

「いーんじゃん?かわいーし、そのままで」

「そういうわけにはいかないよ」

「ん〜まぁ、そりゃそうか」

 セトは肩をすくめると荷物からキャップを取り出した。背伸びして、楔の頭にかぶせて

やる。

「ほら、これでいいだろ」

「あ…ありがと」

 はにかむ楔を見て、セトは苦笑せずにはいられなかった。

 先程、彼はセトのことを”姉みたい”と言っていたが……

 ――何かこいつ、ほんとに弟みたいだ

 驚くほど純粋で真っ直ぐ―――

 だからこそ傷つきやすい心。護ってやりたいと思ってしまう。

 セトは自分にも母性本能があったのだという事実に少々驚いていた。

「あ」

「わ……っと、何?」

 楔のあげた声に、セトは少々ドギマギしながら反応する。

「前…少しひらけてるみたいだよ」

「え?」

 前方。

 確かに今歩いている道より先のほうが広くなっているのがわかる。もしかしたら部屋か

何かかもしれない。

「行ってみよう」

 二人は走った。何mか走って止まる。

 そこは10m×10mほどの空間だった。真正面と左側にもこちらと同じようない入り

口がある。左側の方には鋭い牙をのぞかせた四本足の獣の姿があった。

「うわっ、何あれ。魔物……?」

「ハルカっ、コトハっ」

「へ?」

 楔が右に視線を移そうとした瞬間―――

 すさまじい光が彼の目を射抜いた。

 

 ――来る

 

 本能的にそう察し、楔はセトの体を引き寄せ地に伏せた。暴風が容赦なく体の上を吹き

ぬけていく。

「ぐ……」

 楔は全身の筋力を使って何とかセトを護りぬいた。

「何だ……今の……」

 風がやんで……二人はふらつきつつも立ちあがる。魔物の真正面――光が生み出された

場所には彼が立っていた。

 右手を前に突き出した彼が。

「…今の、ハルカがやった……んだよね?」

「……」

 呆然とする二人。

 今の力は間違いなく、この時代に本来ならないはずの力だ。

 たった一つの例外を除いては。

「あいつ、まさか……」

「セト。ハルカにはオレの正体、絶対に言わないでくれるかな」

「え……絶対って……」

「お願いだから」

 楔は食い入るようにハルカを見つめていた。

 まさか、こんなところで彼とでくわすとは。

 ――これがあの人の言う”因縁”ってやつなのかな

 今はもう遠くにいる人間を思いつつ、楔はほんの少しだけ笑った。


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