シイモノ


「いきなりピンチだねぇ〜」

「緊張感のない声出すな」

 堅い石の壁を一発蹴ってから、セトは楔の方を振りかえった。

「ピンチ、ピンチ。セトサマガピンチ」

「リトもちょっと黙れっ」

 リトの体を軽く蹴り、楔の前に立つ。

「どーする?このままじゃ確実に死ぬけど」

「さあ?助けを待つしかないんじゃないの?」

「助け……ねぇ……」

 セトは天井を仰いだ。

 先程、荷物から取り出し火をつけたランプを床に置く。

 事の起こりはおよそ五分前。

 行き止まりにぶち当たったセト達は来た道を引き返そうとしていた。

 そうしたら突然前方の天井が落ちて、行く手を阻んだのだ。

 完全に閉じ込められてしまったということである。

 あと数10分もすれば酸素はなくなるだろう。

「ま、あせってもどーにもならないしね。楽にしてよーよ、楽にさ」

 へらっと笑う楔に、セトは息をつく。

「…そういう顔するのやめてくれる?いらいらするんだよね」

「え?」

「君、本当に笑ってないだろ?」

「……」

 楔は少々どきっとした。痛いところを突かれてしまった。内心、動揺しながら何とか平

静を装う。

「…何でそう思う?」

「僕の…僕達の目には、君の笑顔は不自然に映るんだよ」

「そう……そうなんだ。それはまずいなぁ……」

 楔は力なく苦笑した。

 不自然。

 ヒドリ達の目にもそう映っていたのだろうか?

「俺、バカみたいにへらへら笑ってなきゃいけないのに」

「何それ、わけわかんないよ」

「うん……」

 わけがわからなくても

 矛盾していても

 手にしたもの

 それを手放さない為にできる精一杯のこと。

 だって、もし昔の自分に逆戻りしてしまったら―――

「俺ねぇ、自慢じゃないけど凄い人なんです」

「は?」

 セトが眉をひそめた。

 楔は自分の言葉を一つ一つ確認しているかのように、ぽつりぽつりと話す。

「常人離れした……いや、人間離れした頭脳と運動能力。できないことなんて何もなかっ

たんだ」

「……」

 二人の息づかい以外何も聞こえない空間。ランプの炎がわずかに揺れている。

「でもね、正直、だから何?って感じ」

「楔……?」

 ランプの光に照らされた楔の顔は、心なしか泣いているように見えた。

「そんなものばかり抱え込んで、俺は本当に欲しい物は一つも手にできなかった」

「本当に欲しいもの?」

「そう―――」

 楔はセトの顔を仰ぐ。

「友達さ」

 憧れていたもの。

 楔は息苦しかった生まれの村を飛び出し、それを探しに行った。

 やがて辿り着いた小さな街。

 自分のずば抜けた頭脳や運動能力を披露すれば、皆「すごい」と寄って来てくれると思

っていた。

しかし現実はその逆だった。人にとって完璧すぎる者ほど異様で恐ろしいものはない。

誰も楔に近づかなかった。ただ、言葉の刃を光らせるだけ。

 

 ――あいつは、化け物だ。

 

 楔は抜け殻のように立ちすくんでいた。

 ――何で?俺は友達が欲しいだけなのに。

 このままではとどかない。憧れにはとどかない。遠ざかっていく。

 なら、どうすればいいか?

 ――…そんなの、簡単だよ。

 出した答えは―――

「本当の自分で手に入れられないのなら、嘘の自分になればいい。俺は俺とは正反対の

バカでトロい奴を演じることにしたんだ」

「……単純だね」

「単純だよ」

 だが、色々と試行錯誤して出した答えがそれだったのだ。

「それで―――」

「え?」

「それで友達はできたわけ?僕だったらバカでトロい奴と友達になるのはゴメンだけど

ね」

 セトの瞳が僅かに切なさを帯びるのを見て、楔は何となく悟った。

 この人も自分と同じものに憧れていたのかもしれない。

 楔は真剣に答えようと思った。

「できたよ。本当に偶然の出逢いだったけど」

 

”あ〜、もうトロい奴っ!殴る気にもなんねーよ”

 

 ヒドリ

 シャロンとファラオとメイ―――。

 たまたま彼らの盗みの現場に居合わせてしまったのだ。

 何故盗みなど働くのか。理由をきいてみたら彼らはこう答えた。

 

”オレ達の村の孤児院がな、食料や物資不足で困ってんだよ。こういう無駄使いばっかし

てる金持ちから少し金になるものもらって、孤児院に送ってやったってバチはあたんねー

だろ”

 

 そういう考えは好きだった。

 だから、この人達について行きたいと思った。

 

”ねぇっ、俺も連れてってよ!”

 

 駄目で元々だった。

 どうせ振り払われると思った。

 でも―――

 

”別にいーぜ。お前みたいな奴がいると楽しそーだし”

 

 彼らは笑った。

 手を差し伸べてくれた。

 

”ただし、足だけは引っ張んなよ”

”うん……っ”

 

 これは運命だと楔は思った。

 

「バカでトロい俺をヒドリ達は受け入れてくれた。毎日、凄く楽しかった。それを手放さ

ない為にも、俺は”バカでトロい楔”であり続けなきゃならないんだ」

「……でも、それって辛くない?」

 自分を偽り続けて。

 苦しくて息が詰まる―――

「…仕方ないじゃないか。本当の俺を見せたら―――」

 ヒドリ達はきっと離れていってしまう。

 

 ――だって、俺は化け物だから。

 

 受け入れてくれる人間なんて―――

「僕は大丈夫だと思うけどね」

「え?」

「例えば僕の仲間が本当はどんな奴だったとしても、僕は嫌いにならないよ。なれないと

思う。そのヒドリって人達もそうなんじゃないかな」

「……でも……」

「君は嫌いになれる?」

「……」

 もしも

 もしもヒドリ達が自分の思っている人間と違ったら。

 楔は大きく首を振った。

「嫌いになれるわけないよ」

 戸惑う気持ちよりも、大好きな気持ちの方がずっとずっと大きい。

 それがたとえ、どんな化け物だったとしても。

 驚くだろうけど、はじめは怖がるだろうけど、嫌いにはなれないだろう。

「だろ?だったらそうなんだよ。もっと自分出してもいいんじゃない?」

「セト……」

 楔が顔を上げると、セトはにっと微笑んでいた。

 …どこか安心するそんな笑顔だった。

「…セトって何か姉さんみたい」

「な……っ」

 セトは赤面し、ぷいっと横を向く。完全なる不意打ちだ。

「に…兄さんの間違いじゃないの?」

「え?姉さんだろ。セト、女だよね?」

「〜っ」

 顔が異常に熱い。女だと見抜かれたのは初めてだった。

 リトが両腕をぶんぶん振る。

「セトサマ、タイヘン!セトサマノシンパクスウガイジョウニタカクナ……」

 ごんっ

 セトが一発殴ると、リトは「ガウ〜」と言い、黙った。「ははは」と無邪気に笑う楔を見

て、セトは思う。

 ――そうか、こいつ真っ白なんだ。

 真っ白で素直過ぎて――

 だから些細なことに胸を痛めているのだろう。

 ――損するタイプだね。

 そこまで考えて、セトは軽い眩暈を覚える。

 そういえば先程から息苦しい。酸素が尽きてきたのか?

 ――あ、何かヤバイかも……。

 そこで、楔が彼女の異常に気づいた。

「セト……?」

「……」

「セトっ!」

 体を揺さぶっても、彼女はぜえぜえ荒い息を吐くだけだ。

「空気が……」

 楔は正面の壁を睨み付けた。

 ――どうする?

 このままでは死んでしまう。

 あの壁を壊さなければ。

 本当の力を出せば、本当の姿になればできるではないか…!!

 でも―――

 

 ――化け物

 

 あの言葉が頭に吸い付いて離れない。

 もし、彼女があの姿を見たら。きっと彼女だって―――

 

”嫌いにはならないよ。なれないと思う”

 

 ――彼女なら大丈夫かもしれない。

 不思議とそんな気持ちが湧き上がってきた。

「…く……さ…び……・」

「セトサマ、キケンっ。アトスウビョウデサンソツキマス」

「……久しぶりだけど、やってやろうじゃん」

 口の端を吊り上げ、立つ。

 大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせ―――

「うああああああああああ!!!」

 咆哮と共に全身の力を解放した。

「……楔……?」

 薄れかけた意識の中で、セトは確かに見た。

 少年の姿が変貌していく様を。

 もはやそれは人の姿ではなくなっている。

 ――大きな……キツネ?

 ランプの灯りに照らされて、その全身は白銀の怪しい光を放っていた。

 だが、次の瞬間何も見えなくなる。

 ランプの灯りが消えたのだ。

 そのことに気づく前に、セトの意識は途絶えていた。


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