次の日。

 リビングで寝ていたハルカはいつもより遅めに目覚めた。

 思いきり寝癖のついた髪を無理矢理整えてから、自分の部屋のドアを開ける。

 そこにはあの少女の姿はなかった。

 かわりに一枚の紙切れがベッドの上に置いてあった。

「うわっ。きったねー字。」

 苦労して書いたのが一目で分かる。

 紙にはたった一言、こう書いてあった。

 

『ありがとうございました。』

 

――…何か、危なっかしい奴だったよな。

 無事にこの街を出られただろうか?

 誰かにまた、だまされたりしてはいないだろうか?

 そこまで考えて、ハルカは苦笑する。

――何心配してんだろ、オレ。

 もう関係のない話だ。

 倒れていた所を偶然みかけた少女を一晩泊めた。

 ただそれだけの、日常の中の出来事。

 どうせすぐに忘れてしまうだろう。

 ハルカは紙を乱雑にポケットに突っ込み、リビングに戻った。

 すると―――

「ハルカっ!おいハルカ!!」

 けたたましいノックの音と共に、高い少年の声がする。

 ニックだ。

「何だぁ?」

 ハルカは顔をしかめつつ、玄関のドアを開けた。

「どうしたんだよ?」

 ニックは息を整えると早口で話し始める。

「中央広場に”人形”がいるんだよ。街中みんな大騒ぎさ。

 オレ達も行ってみようぜ。」

「人形………だってぇ!?」

 間違いない。

 どう考えてもコトハだ。

――あのバカ。

  自分が人形だって口にしやがったな。

 厄介なことになるのは目に見えていただろうに。

 ハルカはがくっと肩を落とした。

 予感的中というか、何というか……

「ああっもう!オレには関係ないってーのに!!」

 わめきつつも、ハルカは走り出していた。

 真っ直ぐ、中央広場に向かって―――

 

 コトハは混乱していた。

 前を見ても、後ろを見ても、右を見ても、左を見ても

 人、人、人、人―――

 皆、好奇の目でこちらを見ている。

(うう〜何で〜?前に訪れた街ではこんなことなかったのに……。)

 人形なんてそこら辺に沢山歩いていたからだ。

 考えてみれば、この街には一体も人形がいないようである。

(ハルカさんが言ってた珍しいって…ホントだったんだ。)

 コトハはきょろきょろと視線を漂わせた。

 落ち着かない状況ではあるが、好都合だ。

 これだけ人がいれば、大量に情報を得ることができる。

 コトハはできるだけ声を張り上げた。

「あの…っ。私、人間について勉強がしたいんです。

 誰か、何か教えてくださいませんか?」

 前の方にいる人々が顔を見合わせ、何やらこそこそと話しだす。

 それはたちまち全体へ広がっていった。

 そして―――

「それならうちに来いよ。いろいろ教えてやるぜ。」

「いえ、私の所に来なさいな。

 うちは家族も多いし、勉強になるわよ。」

「何言ってんだ。俺んとこに来い!な?」

「いや、僕が……。」

「だから、私が……。」

「え?あ……え?」

 あまりの反応の良さに、コトハは戸惑う。

(何か……いい人達ばっかり…?)

 ここまで協力的なのは初めてだ。

「え〜…っと。それじゃあ……。」

 コトハは人々の顔をぐる〜っと見まわした。

 優しそうな女性を見つけ、視線を止める。

(うん。この人にしよう。)

 彼女は一歩前へ踏み出し―――

「ふえ……?」

 ふいに、後ろから腕を引っ張られ、よろめいた。

 そのまま何かに背中をぶつける。

 顔を上げると、見覚えのある少年の顔が目に飛び込んできた。

「ハルカ……さん?」

「何やってんだ、お前。」

「何って……。皆さんに人間のことを教えていただこうと……。」

 ハルカは息をつき、街の住人達の方を見た。

 見知った顔ばかりだ。

 近所のおばさん。

 魚屋のおじさん。

 花を売っている女性。

 クリス達の顔もある。

「何だハルカ。お前その子を連れてく気か?」

「ちょっとちょっと、その子はうちに来るのよ。

 勝手なことはやめてちょーだい!」

「どけ、ハルカ!」

 あちこちから聞こえてくるブーイング。

 コトハが顔をゆがませ、耳をふさぐ。

 ハルカは思いきり息を吸い込んだ。

「うるっせぇ!!少し黙れ、バカ!!!」

 大音量の怒鳴り声に、その場が静まりかえった。

「…どーせお前ら、本気でこいつを手伝う気なんてないんだろ?」

「え……?」

 コトハが顔を上げた。

 不安げな瞳でハルカを見る。

「そう…何ですか?」

「そーだよ。お前をどっかに高く売り飛ばすつもりなんだ。」

 ざわめきだす人々。

 図星なのだ。

――いらつく。

 人間は汚い。

 昨日、自分はそれと同じ事をコトハにしようと思っていた。

 それを考えると更にいらついてくる。

 ハルカは住人達をキッと睨み付けた。

「わたせない。そんな奴らにこいつはわたせない。」

「ハルカさん……。」

「行くぞ。」

 ハルカはコトハの手を握りしめた。

 目の前に立つ、自分より背の高い少年を仰ぐ。

「どけよ、クリス。」

「…その子を連れてどうするつもりだ?」

「さぁね。でも、ま。良かったんじゃん?

 オレをこの街から追い出す口実ができてさ。」

「ハルカ……っ!」

 クリスの顔が引きつった。

 かまわず続ける。

「本当はお前らもオレのこと煙たがってたんだろ?

 当然だよな。オレみたいな得体の知れない奴。」

「それは……。」

「今まで友達面してくれてありがとう。」

 ハルカは笑顔をつくると、クリスの横を通り過ぎた。

 そのまま人混みを抜けていく。

「おいっ、ハルカ!」

「ハルカっ!」

 クリスの声に加えて、ニックの声も聞こえてくる。

 それでもハルカは立ち止まらなかった。

「あの……いいんですか?ハルカさん。」

「いいんだよ。

 どうせオレはこの街の奴らに嫌われてんだから。」

「どうして……。」

「お前は知らなくていい。」

 ハルカはそれきり口を閉ざす。

 街の外に出るまで、ハルカは一度も振り返らなかった。


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