君が一番


 2月14日は男にとっては落ち着かない一日だろう。
 バレンタインなんて去年までまったく興味がなかったのだが……。
 今年はそうはいかないらしい。

 納得いかないのだが、佐藤春樹はそれなりにもてる。
 チョコレートの匂いに顔をしかめていると、口の中にチョコを放り込まれた。甘いもの
は嫌いではないので、有難くいただくことにする。
「海老名さんとその後どう?」
「な…っ!?」
 唐突な春樹の問いかけに咳き込みそうになった。
「なんでそこで海老名が出るんだよ!」
「親友の春樹くんとしては二人の進展が非常に気になるのデス」
 その後も春樹は色々と言っていたようだったが、俺の耳にはまったく入っていなかった。
 動揺しまくりな心を誤魔化すように立ち上がる。
「帰る!」
「おーい、鈴くーん」
 春樹の声は完全に無視し、教室を飛び出した。
 どうも俺は海老名のことになるとおかしくなるらしい。
 どうなんだと訊かれればまあ、それなりに……それなりに上手くやっているとは思う。
 海老名の部活がない日は一緒に帰っているし、休日は一緒に出かけたりもする。進展ら
しい進展はないけれど、良い雰囲気なんじゃないかな。
 なのに。
「え?一緒に帰れない?」
 海老名が頷く気配がした。「用事があるなら待ってるけど」と言ってみるが、彼女は首を
横に振るだけ。先に帰ってと言わんばかりに背中を押してきた。ここまで頑なだともうど
うしようもない。海老名千乃は割と頑固な所があるのだ。
「じゃあ、帰るけど……」
 チョコは?
 と訊きたかったが、訊けなかった。彼女が去って行く足音を聞きつつ溜息をつく。少し
は……いや、かなり期待していたのだが。ショックといえばショックで、その場に佇んで
いると……
「すーずくんっ」
「うわあっ!?」
 肩を叩かれ跳び上がった。
「は…春樹……?脅かすなよっ」
「脅かすって……いつも鈴くん、足音で僕だってわかるじゃん。"春樹の足音はうるさいん
だ"って」
 いつもの俺ならそうだ。親しい人間の足音ならだいたい聞き分けられる。が、今の俺は
ぼーっとしていた。
「…あれ?春樹、何か持ってないか?」
「ああ、これ?海老名さんにもらったんだ」
「もらうって何を」
「チョコに決まってんじゃん。さっき皆に配ってたんだ〜。海老名さんもマメだよね」
 どさっと音がした。
 それが思わず手放していたカバンが床に落ちる音だと認識できないくらい、頭を強く殴
られたような感覚がしていた。
 ちょっと待て、ちょっと待て、ちょっと待て。
 皆に……というか春樹にあげておいて、俺には何もないってどういうことだ!?
「……俺…嫌われてる……?」
「あれ?鈴くんもしかしてもらってな―――」
 春樹の顔面を一発殴ってやると、カバンを持ち廊下を走りぬけた。
 大袈裟かもしれないが、俺にとっては目が見えなくなった時よりもショックだったかも
しれない。
 何だか家に帰る気力もなく、俺は誰もいない教室に戻ると机に突っ伏した。
 ああ…何だかもう、立ち直れないかも……

「鈴くんっ、すーずくんっ」
「……んあ?」
 肩を叩かれ、はっとして顔を上げた。
「……春樹?」
「そう。春樹くんデス」
「今、何時……?」
「6時だね」
 あっちゃー。1時間も寝てたのか、俺。
 立ち上がろうと動かした手が何かに当たる。触ってみると小さな袋のようだった。口の
部分をリボンで結んである。
「これって……」
「海老名さんから伝言。"遅くなってごめんなさい。ハッピーバレンタイン"だってさ。
良かったじゃん、鈴くん」
「海老名が……」
 って、ちょっと待て。
「何で春樹から渡されないといけないんだよ?直接渡してくれれば良かったのに」
 機会なんていくらでもあったじゃないか。
「それはそれ。複雑な乙女心ってやつでしょ」
「…?」
 顔をしかめていると、春樹は俺からチョコを取り上げ中身を取り出し、俺の口の中に放
りこんだ。
「おいしい?」
「……ああ」
 素直に頷く。
「そりゃそうだよなあ。海老名さんの手作りだし。ちなみに僕達に配ってたチョコは市
販のものだったんだ」
「え……」
「本命にはなかなか渡しにくいもんだよね」
 ぽかんとしている俺を尻目に春樹は椅子から立ち上がり、教室の入り口の方へ歩いてい
く。
 俺だけ手作りで…?
 本命には渡しにくいって…?
 それってつまり

「……もしかして、俺ってすっげー幸せ者?」


 明日、朝一番に海老名に会いに行こう。
 照れ臭くて、上手く礼を言えるかはわからないけどさ。



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