ぐや姫の後日談


「よーくんの馬鹿ぁっ!何で起こしてくれなかったの?」 
 くしで髪をとかしながら涙目で訴えてくる少女に、彼―奥菜夜一(おきなよいち)は皿 
を並べつつ応えた。 
「三回は起こしにいったよ」 
「えーうそー!?何で!」 
「昨日遅くまで本読んでたせいだろ。自業自得」 
「うー……」 
 長い髪を一本に束ね終えた少女はカバンを持ち、リビングを出ようとする。 
「待て、美月(みづき)」 
「何っ。急いでるんだけどっ!」 
「何があっても朝食は食わなきゃ駄目。体に良くないぞ」 
「……よーちゃん、あたしを遅刻させたいの?」 
 家から学校まで徒歩三十分もかかるのだ。その場で足踏みを始める美月にくすくす笑い 
出す夜一。 
「今日は出血大サービス。車に乗せてってやるよ」 
「ほんと!?」 
「ほんとほんと」 
 美月は顔を輝かせると夜一に飛び付いた。 
「わーい♪お父さん大好き〜v」 
「まったく…。こういう時だけ父親扱いか?」 
「えへへ」 
 奥菜夜一・二十五歳・中学校教師。奥菜美月・十四歳・中学生。 
 血のつながりこそないものの、二人は親子だ。 
 夜一が道端で泣いている美月に出会ったのは彼が十四歳の時の夏休み。親を探してみた 
ものの中々見つからず、夜一は彼女の親が見つかるまで家に置いてやることにした。街中 
に張り紙を貼り、警察に届けでても美月の親は現れない。孤児院に連れていくという考えも
浮かんだが、それはすぐに打ち消した。二週間も一緒に暮らしたら情が移り、離れ難く 
なってしまったのだ。元々夜一は子供が好きであったし、両親を亡くしてから始まった一 
人暮らしの寂しさを感じていたせいかもしれない。近くに住む祖父母の力も借りつつ、夜 
一は美月を育てることにするのだった。 

「大きくなったよなぁ……」 
「毎度のことながら変態チックだぞ、夜一」 
 美月の写真を眺めながらしみじみと呟く夜一に、白衣を着た男教師があきれたように言 
った。 
 戸田亮介。理科教師。夜一とは高校時代のクラスメイトでもある。 
「まぁ、確かに最近美月ちゃん綺麗になったよな」 
「…俺の娘に変な気起こすなよ」 
「起こすか。おれはロリコンじゃない」 
「美月に魅力がないっていうのか!」 
「お前はどーしてほしいんだ」 
 胸倉を掴んでくる夜一の手を振り払いつつ、亮介は溜息をつく。この異常な親馬鹿は昔 
から全然変わっていない。よく子守りに付き合わされたものだと思いながら、彼は夜一か 
ら写真を取り上げた。 
「夜一。高校の時、おれが話したこと覚えてるか?」 
「え?」 
「かぐや姫」 
「あー……」 
 何となくだが記憶にある。あれは確か授業で「竹取物語」をやった後のことで――― 

「美月ちゃんもさー。かぐや姫みたいに帰る時がくるのかもしれないよな」 
「どこに」 
「本当の親のとこ。まだ見つからないんだろ。どっかで生きててさー。そのうちひょっこ 
り出てくるかも」 
「…」 
「そしたらお前、どうする?」 
「俺は―――」 

 その後の言葉はあまり覚えていない。 
「これだけ綺麗になるとあながち冗談で済まされない気もしてくるな」 
「どういう意味だ?」 
 探るような夜一の視線に亮介は肩を竦めてみせた。 
「美しく成長したかぐや姫はおじーさん達を振り払って月に帰ってしまうのでした」 
「な…っ。そんな今更……ないだろ」 
「今更…ね」 
 亮介は繰り返すと写真を夜一につき返す。 
「かぐや姫だって今更だよなぁ。おじーさん達はかぐや姫を可愛がって可愛がって可愛が 
って。本当に大好きだったはずだ。なのにあんな形で引き離された。―――理不尽な話だ 
よな」 
「やめろよ、そんな話。くだらない」 
 夜一は数学の教科書類をまとめ、立ちあがった。 
「授業だ。俺は行く」 
 そう言い残し、さっさと職員室を出ていってしまう。亮介が夜一の机に貼ってある授業 
予定表を見てみると、今日の一時間目はどこのクラスでも授業はなし。 
「あいつ、相当動揺してるな……」 

「あ、よーくん。お帰りー」 
 家路に着くといつも通り美月が笑顔で迎えてくれる。もう見慣れた光景だった。 
 でも今日は何だか遠く感じて――― 
「え?何、よーくん」 
 夜一は美月を抱きしめていた。 
「どーしたの?あ、また胃が痛いとか?よーくん、ストレス溜まりやすいもんねぇ」 
「……違う」 
「……よーくん?」 
「ごめん。少しだけこのままでいさせてくれ」 
 亮介があんなことを言ったせいだろうか。今、この手を離したら美月がどこかへ行って 
しまうような気がした。 
 ―――神様、頼むからそばにいさせてくれよ 
 夜一は強く願っていた。 

 よく思い返してみると、昔から亮介の勘は外れたことがなかった。 
 つまり――― 
「夜一っ、大変だ!」 
「んー?何だ、どーしたー」 
 血相を変えて職員室に飛びこんできた亮介とは対照的に、夜一はのんびりとコーヒーを 
飲みながら応える。 
「今、事務室に行ってたんだがな。そこで良くない話をきいた」 
「何かあったのか?」 
「いいか。落ち着いてきけよ」 
 妙に真剣な亮介に、コーヒーのカップをテーブルに置く夜一。 
「昨日の夕方、事務室に四十歳前後の女性が訪ねてきたらしいんだ。そしてしつこく訊い 
てきたんだと。”この学校に中森美月はいるか”って」 
「な……っ」 
 ガタガタガターンっ 
 立ちあがりかけた夜一は椅子に足を引っ掛けて床に突っ伏した。 
「だから落ち着いてきけって……」 
「わ…悪い」 
 亮介の手を借り、起き上がる。が、腰が抜けてしまい立ち上がれなかった。 
 中森美月。 
 美月の本当の名前だ。 
 今は奥菜家の養子に入っているのだった。 
「まぁ、この学校にいるのは”奥菜美月”であって”中森美月”ではないわけだから、事 
務のおばさんは”知らない”と言って追い返したようだがな」 
「そ…そう……」 
 ほんの少しだけほっとした。しかし何故今更? 
「一度会ってみた方がいいんじゃないか?」 
「…」 
「多分美月ちゃんを返せって言われるだろうが」 
「…」 
「ま、頑張れ」 
「……お前、楽しんでるだろ? 
 半笑いで肩を叩いてくる友人に、夜一は泣きたくなった。 

 会ってみようと決意したものの、彼女が今どこにいるのかわからない。現れないのなら 
無視すればいいとも思ったが、夜一の良心が許さなかった。彼女は必死で美月を探してい 
るのだ。 
 と――― 
「あの…中森美月という女の子を知りませんか?」 
「……え?」 
 そんな声が聞こえてきて、夜一は振り返った。四十歳ほどの女性が道行く人々に同じこ 
とを尋ねている。その度に首を横に振られ、悲しそうな顔をしていた。夜一は息を吸い込 
み、心の中で気合を入れる。 
「いくら探しても”中森美月”は見つかりませんよ」 
「え?」 
 女性の顔を見て、夜一は一瞬どきっとした。 
 似ている。美月に。やはり親子なのだ。 
「それって……」 
「えーっと、奥菜美月ならいて……。その、お話したいことがあるのですが、いいですか?」 

 夜一は女性を連れて、近くの喫茶店に入った。彼女の名は中森真昼というらしく、彼は 
事情を彼女に全て話した。 
 美月は今彼の家にいること。 
 泣いていた美月を拾い、育ててきたこと。 
 今は奥菜美月だということ。 
 真昼は夜一の言葉に何度も頷き、その度に深く頭を下げて礼を言った。 
「…何で美月を捨てたんですか?」 
 一番訊きたかったことを尋ねると、真昼は悲しそうに笑った。 
 彼女の夫―つまり美月の父親・直人はかなりの子供嫌いだったそうだ。暴力こそ振るわ 
なかったものの、世話はまったくせず完全に無視。 
 ある日、買い物から帰ってくると家の中に美月の姿が見当たらなかった。そして妙に部 
屋の中が片付いていたのだ。 

「これはどういうこと?」 
「この家を出る。もう新しい部屋は借りてあるんだ。少し遠いけどな」 
「ちょっと待って。美月は?」 
「あいつは連れていかないよ。すぐ泣いてうるさい。一緒に住んでるだけでイライラする」 
「だって、あなたの子なのよ?」 
「最初から子供はいらないって言ってただろ。妊娠した時、おろせとも言ったはずだ」 
「そんな……。勝手だわ」 
「おれに逆らうのか?」 
「……」 

「私は弱い人間だから、あの人に逆らえませんでした。美月を探すことができないまま、 
引っ越してしまい―――。最近やっと、あの人と縁を切ることができたんです。だから― 
――」 
「美月を探しに?」 
 真昼は小さく頷いた。 
「美月を……返してくださいませんか?」 
「…」 
 夜一はすぐに答えることができない。 
 勝手だ。 
 この人は勝手なことを言っている。 
 だって、そうだろう? 
 母親なら 
 本当に美月のことが大事だったなら、夫に抵抗するはずだ。 
 逆らえなくても逆らうはずだ。 
 何があっても美月を探しに行ったはずだ。 
 なのにこの人は何もしなかった。その時点で母親失格なのではないだろうか? 
 この人に美月を返すなんて、そんなこと――― 
「あの……」 
「お願いしますっ!ずっとずっと一緒に暮らすことを夢見ていたんです。美月のこと、
忘れたことなんてありませんでした。どうか…どうか、お願い……」 
「う……」 
 言葉を飲み込んでうめく夜一。 
 ―――泣くのは卑怯だろーーー!? 
 女性の涙ほどどうしようもできないものはない。 
 折れるしかなかった。 
「えーっと、とりあえず美月に会ってください。こういうことは子供に決めさせるべきで 
すよ」 

 真昼の話をすると美月はとても驚いたようだったが、夜一が思ったよりも軽く彼女に会 
うことを承諾してくれた。 
「八時か……」 
 話が弾んでいるのか美月はなかなか帰ってこない。結局、帰ってきたのは九時をまわる 
ころ。 
「ごめんね、よーくん。夕食ご馳走になっちゃって……って、どうしたの?」 
 机のまわりをグルグルまわっていた夜一に美月は首を傾げる。 
「あ、いや別に。暇だったから」 
「変なよーくん」 
「ははははは……」 
 渇いた笑いを浮かべつつ、夜一はほっとしていた。内心、帰ってこないかもしれないと 
も思っていたのだ。 
「で、どうだった?」 
「うん。凄くいい人だったよ。それに、あんまり覚えてないんだけど懐かしい感じがした。 
やっぱりお母さんなんだね」 
「そう……か」 
 血のつながりほど濃いものはないということなのだろうか。夜一は椅子に腰かけようと 
したが、失敗して尻餅をついた。 
「ちょ…っ。よーくん、大丈夫!?」 
 慌てて美月が駆け寄る。夜一はほとんど消え入りそうな声で言った。 
「……行った方がいい」 
「え?」 
「真昼さんのところに行った方がいいよ。やっぱり本当の親子が一緒にいるのが一番自然 
だ。俺みたいな赤の他人といるより母親といた方がいい」 
 それが夜一のだした答え。 
 一緒に暮らしたいと泣きながら訴えた真昼。 
 ”懐かしい”と笑って呟いた美月。 
 血のつながりも何もない夜一が入っていく隙間など少しもない。今まで親子として過ご 
してきたのが不自然だったのだから。 
「赤の他人……か」 
 美月は寂しげに笑うと、本当に軽い口調で言った。 
「じゃあ、そうするよ」 

 それから一ヶ月が過ぎた。美月は夜一の家からはかなり遠い真昼の家に引っ越し、学校 
も転校した。 
 美月のいない生活。それはひどく価値のないものに思えて、何をするにもやる気が起き 
ない。思えば十一年間も一緒にいたのだ。 
「本当にかぐや姫になっちまったな。美月ちゃん」 
「…」 
「夜一、これでよかったのか?」 
「……いいんだ。美月のためだから」 
 血の繋がらない親子ほど不安定で頼りのないものはない。世間の目だって、決して温か 
くはないのだ。それなら――― 
「お前、全然変わってないな」 
「え?」 
「あの日、おれが言ったこと覚えてないのか?」 
「あの日―――?」 

「そしたらお前、どうする?」 
「俺は……。俺は本当の親の元に返すよ。その方が美月も幸せだろうし。それが一番自然な―――」 
「そーじゃなくて、お前はどうしたいんだってきいてんだよ」 

「俺は……」 
 どうしたい? 
 あの時俺はどう答えた? 
 俺は今――― 

「そんなの……美月と一緒にいたいに決まってるじゃないか」 

 そばにいたい。 
 幸せにしてやりたい。 
「だったらそうしろ。お前が我慢する必要はない」 
「でも美月は……」 
「生みの親と育ての親、どっちといた方が幸せかってきかれたら、おれは育ての親を選ぶ 
けどな」 
「え?」 
 良く聞き取れなかったので夜一が聞き返すと、亮介は「いや」と首を振った。そして夜 
一の背中を押す。 
「迎えに行ってこい。住所は知ってるだろ?」 
「ちょ…亮介っ」 
「素直になれ、夜一。お前にとって美月ちゃんは諦めきれる存在だったのか?」 
 美月。 
 大切なひと。 
 一番大切なひと。 
 諦める? 
 そんなこと……できるわけがなかった。 
「……午後の授業、自習なっ」 
「おーけい。伝えておこう」 
 勢い良く職員室を飛び出していく夜一を見送ってから、亮介は呟く。 
「なぁ、夜一。かぐや姫だって月に帰りたかったわけじゃないんだぞ」 

 仕事を終えて家に帰ると必ず美月が迎えてくれる。 
”お帰り。よーくん” 
 その笑顔が好きだ。 
 そばにいたいと 
 大切にしたいと願う。 
 ―――新幹線が…早いよな。あーっ、何でこういう時に限って財布を忘れるんだっ 
 亮介に借りるべきだったかもしれない。夜一は仕方なく一度家に戻ることにした。 
 ドアを開けると――― 

「お帰り。よーくん!」 
「は?」 
 夜一の頭の中が一瞬真っ白になる。 
 誰だ? 
 飛びついてきたのは。 
 今、抱きしめられているのは。 
 ”よーくん”だなんて、たった一人にしか呼ばれていない。 
「……美……月…?」 
「そーだよ。帰ってきちゃった」 
 本当に? 
 本当に美月? 
「お前……何で……」 
 驚きでそれ以上言葉を繋げない。 
「真昼さんを説得したの。あたし、やっぱりよーくんと一緒がいい」 
「お前……なぁ……・っ」 
 腰が抜けてしまいそうだった。 
 嬉しくて 
 嬉しくて 
 美月をぎゅっと抱きしめる。 
「月から帰ってくるかぐや姫なんて……きいたことないぞ」 
「あれ?よーくん、泣いてるの?」 
「うるさいっ馬鹿娘」 
 夜一が頭を叩くと、美月はおかしそうに笑ったのだった。 

「月から戻ってきたかぐや姫はおじいさんと幸せに暮らしたのでした、か」 
「何ですか、それ?」 
 亮介の呟きに、日誌を届けにきた女生徒が顔をしかめた。亮介は苦笑し、答える。 
「かぐや姫の後日談」 

                              おわり 


涼風さーや様へ、サイト開設祝いに書かせて頂きました! 
「世界名作シリーズ」(爆)第三弾! 
今回はかぐや姫です〜 
ありがちな展開(笑 
ほのぼのーっとして頂ければ幸いですv 
大ファンなさーやさんに小説を送りつけるなんて・・・ 
ドキドキです(馬鹿


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