み(前編)


「正直いって驚いたな」

「ああ…」

 忌寸の言葉に光先達は頷いていた。遠目に片付けをしている碧音とヤマトを見る。

 まさかヤマトがあんな笑い方をするとは。

 別にヤマトに表情が少ないとかそういうわけではない。笑う事だってある。だが、いつ

もの笑顔はどこか不自然なのだ。それに比べて先程の笑顔は自然に見えた。

「あの人ならもしかしたら何か変えられるかも……」

「朝臣、さっきの言葉を信用できるのか?」

「う〜ん……」

 朝臣は昼食時のことを思い出していた。

 

「は?一緒に外に出よう?」

 顔をひきつらせる光先達に対して、碧音は笑顔だった。

「お前…本気で言ってるのか?」

「はい」

「ふざけんなっ!!」

 ばんっとテーブルを叩きながら光先が立ちあがる。

「今更何だよっ。散々俺達を除外しといて、今更”外に出ろ”!?ワケわかんねーよ!そ

れに……」

「あたし達はほとんど生まれてすぐにここに来たからわからないけど……。昔、大人達が

言ってたわ。”外”はここよりもっと辛い所だって。変異体だって知られたら酷い目にあう

って」

 光先の言葉に朝臣が続けた。ヤマトがほんの少しだけ目を細くする。碧音は胸を張り、

「そのことなら心配ありませんわ」

「?」

「今の国の中心は兄様ですもの。兄様がきっと、あなた達にも優しい世の中を作ってくれ

ますわ」

 

 変異体にも優しい世の中―――

 そんなもの本当に可能だろうか?

 人間に根強く残った観念はなかなか修正できないものだ。

「……そういえば、真人は?」

 ふと気がついたように朝臣が問いかける。

「あの女のとこに行ったよ」

 光先は溜息をついた。

「一番初めに折れるのはあいつだな」

 

 風が吹いてきた。たたみかけだったテーブルクロスが大きくはためく。

「きゃ…」

 よろめきかけた碧音をヤマトが支えた。

「大丈夫?」

「す…すいません……」

「僕がたたむよ」

 ヤマトは碧音からテーブルクロスを受け取る。

「…あのさ、碧音さん」

「はい?」

 皿の片付けに取りかかろうとしていた碧音は動きを止め、ヤマトの方に体を向けた。

「何でしょう?」

「…本当なの?その…今の総理が僕らに優しい世の中を作るって……」

「はい。兄様言ってましたもの。兄様は嘘はつきませんわ」

「そう……」

 ヤマトの表情に影が差したように見えて、碧音は首を傾けた。

「…ヤマトさん?」

「お姉ちゃ〜ん!」

 幼い声に碧音は首を横に向ける。

 真人だ。

「あら、どうしたのですか?」

「あのねっ。何か手伝うことある?おむらいすおいしかったから僕、お礼したいんだ」

「そうですかぁ」

 どうやら彼はそれほど”外”の人間を嫌悪していないらしい。まだ子供だからなのかも

しれないが。

「それではお皿を重ねて、ヤマトさんの家まで運んで頂けますか?」

「は〜い」

 真人は元気良く応え、皿を重ね始める。碧音は少し嬉しくなった。

 ――何だか弟ができたみたいです

 自分は末っ子。ずっと弟か妹が欲しいと思っていたのだ。

「あ、真人。運べない分は僕が運ぶから無理しなくていいよ!」

「だ…大丈夫」

 真人は全員分の皿を一気に持ち上げようとしていた。慌てる碧音。

「ま…真人さんっ。それはさすがに危ないですわ」

「へーきだって」

 皿を持ち上げ、少し歩く。

 そして―――

「あ」

「真人っ」

「きゃあ!?」

 

 ガッシャ―――ッンッ!

 

 碧音は自分の顔から血の気が引いていくのをはっきりと感じた。

「真人さんっ」

 地面に膝をついた真人に駆け寄る。彼の周辺にはガラスの欠片が散らばっていた。

「だ…大丈夫ですか!?」

「……血が出た」

「きゃあ!?」

 真人の手のひらを見て再び悲鳴をあげる。彼の両手は血で染まっていた。どうやらガラ

スの中に突っ込んでしまったらしい。

「す…すいませんっ!私の注意力が足りないせいで……っ。痛いですか?痛いですよ

ね!?待っていてください。今、包帯を―――」

「あ、大丈夫。見た目ほどひどいケガじゃないから。ごめんねヤマト兄ちゃん、お皿割っ

ちゃって……」

「いや、それは構わないんだけど……」

 皿だけなら管理人室に余るほどある。しかも、今まで一度も使っていないものがだ。

 真人は立ちあがり、

「血、落としてくるね」

 とだけ言うと、どこかへと走り去っていった。

「ほ…本当に大丈夫なのでしょうか……。凄い血だったような気がしますが……」

「まぁ、死ぬほどの量でもなかったし、問題ないよ」

 皿の破片を拾い集めながらヤマト。

「でも…痛そうでしたよ?」

「痛くないんだよ」

「え?」

 碧音は目を瞬かせる。

 どういう意味だろう?

「あいつの……真人の変異は痛みを感じないことなんだ」

 

 水道の蛇口をひねる。この隔離された地域でもかろうじて水と電気は通っていた。

 真人は赤くなった水が流れていくのをぼーっと見つめる。

 

”痛いですか?痛いですよね!?”

 

 先程の彼女の言葉―――

「痛い……?」

 真人は冷たさしか感じない手のひらを、きつく握り締めた。


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