下がり


 光先は今だかつてないほど不機嫌だった。仏頂面のまま木に寄りかかっている。

「ねぇ、光先兄ちゃん」

「何だよ、真人?」

 光先に睨まれ、真人はほんの少し足をすくませた。

「あ…あのね。あのお姉ちゃん僕達と友達になりに来たって言ってたよ?」

「はぁ?」

 顔をしかめる光先。真人の体を後ろから16歳ほどの少女が抱きしめた。

「真人〜。あんたそんなの信じてるわけ?嘘に決まってるでしょ」

「でも朝臣(あそみ)姉ちゃ……」

「真人」

 光先の鋭い眼光が真人を射抜く。

「あの女のことは信用するな。わかったな?」

「でも、僕……」

「光先〜っ!」

 高いソプラノの声に、光先達は同時に一点を見た。短い茶髪を揺らして一つの人影がこ

ちらに走ってくる。

 年の頃15歳ほど。

 男か女か外見だけでは判断できない。

「宿禰(すくね)……?」

 宿禰と呼ばれた人間は立ち止まると肩で息をしつつ言った。

「何かさ、凄いことになってるよ。あの人、何考えてんだろ」

 

 甘い香りが漂っていた。

「まさか本当に作ってしまうとは……」

 青空の下、テーブルに並んだ柔らかそうなオムライスをヤマトは半ばあきれ顔で見まわ

す。

「あら、ヤマトさんの協力があったからですわ」

 ヤマトの住まい―つまり管理人室だが―のキッチンを借りて作ったのだ。長年使用して

いなかったせいか、ガスコンロの火がつかないなどの多少のハプニングはあったが。皿を

並べたテーブルもヤマトがどこからか引っ張り出してきたものだった。

「さて、あとは皆さんをお呼びして……」

「…どーいうつもりだよっ!」

「あ」

 どうやらその手間ははぶけたようである。光先の睨みを碧音は笑顔で受け止めた。

「どういうつもりって、お昼ご飯です。もう食べてしまわれましたか?」

「いや、食ってない……ってそーじゃなくて!!」

 光先は腹をさすりかけた腕を振り下ろす。

「食い物で気を惹こうだなんて、いー度胸じゃねーか。動物の餌付けのつもりか?」

「そんなつもりはありませんわ。私はただ皆さんとお昼を食べようと思っただけです」

「ふざけんなっ!」

 碧音に飛びかかる光先。

「光先…っ」

 ヤマトが止めるよりも早く、碧音は地面に倒れていた。それでも柔らかい表情のまま、

拳をかまえる光先を見上げる。

「困りましたね…。ふざけているつもりはないのですが」

「へらへらしやがって…!!俺はお前ら”外”の人間なんか信用しないからなっ!」

「かまいませんわ」

 穏やかに応える碧音に、光先はほんの少し動揺した。

「……何だって?」

「信用してくださらなくてもかまいません。ただ、私は喧嘩をしに来たわけではありませ

ん。皆さんとお友達になりたいだけですわ」

「友……達……?」

「はい」

 碧音の笑顔に光先の心臓が妙なリズムを打った。振り上げた拳が震える。

 ”外”の人間なんて信用できない。

 自分達を捨てて、こんな所に閉じ込めた。信用しろという方が無理な話だ。

 だが……何故だ?

 この少女の言葉は嘘には聞こえないのだ。

「く……」

 光先が唇を噛み―――

「うわぁっ何これ!おいしそーじゃん♪」

 緊張感のカケラもない声が光先の葛藤をあっさりと打ち破った。

「遠目で見てたからわかんなかったけど、こんな凄いモノ用意してたんだ〜」

 中性的な整った顔立ちをした人間がイスの一つに腰をかける。

「宿禰……」

「あらホントにおいしそうね」

「ねぇねぇ、これ食べていいのかなっ」

「真人、よだれ出てる」

 テーブルの周りで騒ぎ出す面々。

 髪を肩までのばした少女と、小さな子供と、ポニーテールの少女―――

「朝臣…真人…稲置まで……」

「ほら、光先」

「うわぁっ!?」

 呆然とする光先の首根っこを誰かが掴んだ。そのまま軽がると彼の体が持ちあがる。

「せっかくうまそうなんだから食おーぜ。話はそれからでもいいだろ」

「こらっ、忌寸(いみき)!離せっ、この怪力男!!」

「しょーがないじゃん。そーいう変異なんだから」

 忌寸と呼ばれた少年は、そのまま光先をイスに座らせた。さわやかさを漂わせた顔立ち

は、ポニーテールの少女―稲置と似ている。兄妹……もしかしたら双子かもしれない。

 碧音は立ちあがり、不服そうな光先を見つめた。

「…食べて…頂けますか?」

 光先は数秒間、口をもごもごさせ、

「………食うだけだからな」

「あ……」

「勘違いすんなっ。信用するわけじゃねーぞ!」

「はいっ」

 顔を真っ赤にして弁解する光先に碧音はクスっと微笑んだ。

「ねぇ、お姉ちゃん。これ何ていう食べ物?」

 手を上げて質問する真人。

「オムライスですわ。ヤマトさんのリクエストです」

「ヤマトの……?」

 光先の視線がヤマトに移る。

「何だよ」

「べつに〜。珍しいこともあるもんだと思って」

 光先は持ち方がわからず―使ったことがない―適当に握ったスプーンでオムライスとや

らを突ついてみた。

 ――ヤマトが”外”の人間に……ね。

 確かにヤマトは光先と違い、表面上は碧音と普通に接しているように見える。だが、心

の底では黒いものがうごめいているはずだ。

 皆の中で最も冷たく硬いハガネ―――

 ――何考えてんだか。

 光先にとって一番の謎はヤマトだった。

「うっわ、何これ」

「おいし〜い」

「ねぇ、これっておかわりとかあり?」

 ――……こいつらも謎だったな。

 まったくもって順応性があり過ぎるというか、緊張感がなさ過ぎるというか。

 あきれつつ、光先はスプーンですくったオムライスを口に運んだ。

「っ」

 一瞬固まる。

 宿禰達がはしゃいでいる理由が理解できた。

 光先達にとって食べ物は”生きて行く為に必要なもの”だ。それ以上でも以下でもない。

当然のことながら味など気にせずに、食べれるものは何でも食べてきた。

 でも、これは……

「おいしいですか?」

「おいしい……」

 言ってしまってから、しまったと顔を上げる。碧音が嬉しそうにニコニコしていた。

「…勘違いすんなよ」

「何がです?」

「何でもだっ!」

 スプーンをくわえながらうなる光先。

 ――この女喜ばせてどーすんだよ、俺!?

 これでは彼女の思うツボだ。

「あの〜、碧音さん…だっけ?」

「はい、何でしょう?」

 碧音は忌寸の方に顔を向ける。

「このスプーン…?ってやつ、もう一本もらえるかな」

「?」

 忌寸の手の上にあるスプーンは真っ二つに折れていた。かなり強い力がかからないと、

このように綺麗には折れないはずだ。

「あ〜いーよいーよ、碧音サン。どーせまたすぐ折るんだから」

「宿禰〜」

「だってそーじゃん。だから―――」

 宿禰は忌寸の皿からオムライスをすくい、彼の口の前に突き出した。

「はい」

「……」

 困ったような顔をする忌寸。

「何だよ、今更。いつもやってることじゃん」

「いや…こうちゃんとした食事だとさすがにハズイ……」

「わがまま言わない!」

 宿禰は強引に忌寸の口にスプーンを突っ込む。

「むぐ……っ」

「あ、こら!ちゃんと飲みこめよっ」

「あだだだだだだ!!」

 騒ぐ二人に碧音はぷっと吹き出した。

「何笑ってんのさ、碧音サン」

「いえ……仲がよろしいのですね」

「な……っ」

 宿禰と忌寸は同時に真っ赤になる。

「ち…違うよっ。こいつ馬鹿力でまともに食事できないから……」

「そうそう!別に深い意味は……」

「深い意味って何ですの?」

「ぐ……」

 またも同時にうめく二人。宿禰が忌寸の肩を軽く自分の肩で押した。

「バカ忌寸」

「うるせ」

「お姉ちゃん、おかわり〜」

「あ、はい〜」

 真人の声に碧音は立ちあがり―――

 ふと、ぼーっとしているヤマトに気づいた。彼のオムライスはまだ少しも減っていない。

「ヤマトさん、早く召し上がらないと冷めてしまいますわ」

「ああ……うん」

 ヤマトはゆっくりとオムライスを口の中に入れる。そして目を見開いた。

 懐かしい……味がした。

 まだ幸せだったあの頃の。

 喜びと悲しみを織り交ぜたような表情のヤマトに、碧音は不安そうな目を向ける。

「あの…おいしくないですか?」

「いや……」

 ヤマトは小さく…本当に小さくだが微笑んだ。

「おいしい…。凄くおいしいよ」


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