ほんの少しの幸せを


 もうすぐ文化祭。うちの部は何をするんですかと尋ねたら、こんな答えが返ってきた。
「え。便利屋」
「何ですか、それ」
「便利なお店?」
「………もーいーです」
 この人とまともに会話しようとするのが間違いだった。
 まぁ、それはそれとして―――

「……何でこんなことになってんだっけ……?」
 文化祭二日目。俺は鏡の中の自分に問い掛けていた。
 当然返事は無い。
 何でだ。
 何で俺はひらひらしたワンピースなんて着てるんだ?
 しかもロングヘアのカツラ付きで。
「おー。聖ちゃん。かーわいーじゃん」
「ボクの目に狂いはなかったね。ま、ボクには負けるけど」
「……嬉しくない……」
 恨めしげな視線を向けても春樹先輩と生徒会副会長兼女装趣味の会長は満面の笑みを浮
かべるだけだった。
 会長が珍しく便利部にやってきたのは2週間前のこと。
 文化祭で生徒会の企画として「不思議の国のアリス」の劇をやるという話だった。それ
もアリス役を俺にやってほしいと言うのだ。

『あの……俺、男なんですけどね……』
『男がアリスをやる。なかなか奇抜でいいと思ってね。それに君なら違和感ないだろうし』
『……女装が好きなら会長がやればいーのに…』
『ボクじゃアリスをやるには身長が高過ぎるんだよ』
『…ぐ…っ』
『聖ちゃん、やったじゃん。主役なんて!便利部が全力でバックアップしちゃうぞ〜』
『春樹先輩まで何言って―――』
『決まりだね』
『こらぁぁああっ!!』

 ……それで現在に到る、と。
 思い出したら頭が痛くなっていた。
「はぁ……。何やってんだろ、俺……」
「いーじゃないの。生徒会企画って毎回凄い客入るんだぜ?楽しみにしてる人も多くてさ
ー。うちの母親もくるって」
「ふーん……」
 息子が出るわけでもないのに見に来るなんて、暇な母親もいるもんだ。
「聖ちゃんの親も来るんだろ?息子の晴れ舞台だもんなー」
「……」
 親。
 その言葉は俺にはかなり遠い存在。
 そういえば先輩には話していなかった。
 話す必要もないと思っていたし。
「……俺、両親いないですよ」
「あ…」
 先輩は困ったような顔をする。
「えーっと……ごめん」
「いいですよ。居たとしても来てくれるような人じゃないし」
 高校に入学する直前に亡くなった母親は仕事が全ての人間だった。
 小学校の頃から授業参観や体育祭等のイベントに来てくれた試しがない。それどころか
海外への出張ばかりでほとんど家にすらいなかった。
 中学に上がると息子を放ったらかしにして、アメリカに住み込む始末。
 亡くなったのもアメリカで、訃報は電話で聞いた。
 悲しむポイントがわからなかった。
 父親なら来てくれたのかもしれないが、3歳の時に亡くなっているので良くわからない。
「……聖ちゃん」
「何ですか」
 先輩は妙に真剣な表情で俺の肩を掴む。
「私が今日からあなたのお母さんよ」
「気色悪いのでやめてください」
「いや。僕、本気よ?」
 余計困る。
 先輩は人差し指をぴっと立てた。
「便利部は生徒の願いを叶えたり、幸せにしてあげることがお仕事デス」
「はぁ。そうらしいですね」
 ほぼ雑用係のような気もするけれど。
 なくし物を探したり、恋の手助けをしたり、チカンを撃退したり。
 売れない探偵のようだ。
 先輩は立てた指を唇にあてるとウインクしてみせた。
「聖ちゃんのこと、僕が幸せにしてみせましょう」
「……………は?」

 先輩の真意がわからないまま、文化祭当日を迎えた。
 確かに話題性は強いらしく、先程から続々と体育館には人が集まっている。
「こんな大量の人に女装姿をさらすのか……」
「大丈夫だ。君なら男だって全然わからないよ」
「皐月先輩、それフォローになってません……」
 時計うさぎ役の皐月先輩。
 この人が女生徒の大半を集めているに違いない。
 いい迷惑だ。
「それより、準備中ずーっと君にべったりだった男はどうしたんだ?」
「知りませんよ、そんなの」
 春樹先輩のことだ。
 正直、それは俺も不思議に思っていた。
 あの言葉の意味も気になるし。
 ……何やらかすつもりじゃないだろうな。
「あ、始まるよ。ほら行ってきな、聖くん」
 皐月先輩に背中を押され、覚悟を決め舞台の上に出た。
 客の多さに眩暈がする。
 クラスの奴もいた。
 「聖ちゃーん」と手を振っているアホな奴も―――
 …って、ちょっと待て。あれって……
 ―――春樹先輩!?
 しかも女モノの服を着て、厚化粧をしている。ご親切にもカツラ付き。
 はっきり言って気色悪い。
 周りの生徒、皆ひいてるじゃないか。
 二日前の先輩の言葉が蘇った。

『私が今日からあなたのお母さんよ』

『聖ちゃんのこと、僕が幸せにしてみせましょう』


 まさか、それで?
「………馬鹿じゃないのか、あの人……」
 こんなことで俺が幸せになれるとでも思ったのだろうか。
 親のことなんてどうでもいいと思っている、この俺が。
「……はは…」
 別に嬉しいわけじゃない。
 喜んでるわけでもないのに。
 自然と笑みがこぼれてくるのは何故だろう。
 妙に胸の奥があったかくなったんだ。
 スポットライトがあたる。
 俺は顔を上げた。
 アリス役なんて冗談じゃない。
 でも少なくとも一人、アホなことをしてまで俺を応援してくれてる人がいる。
 なら少しだけ、頑張ってみようか。

「……俺の母親、そんな不細工じゃないんですけど……」
「あらやだ、聖ちゃんったら。お母さんに不細工だなんて」
 衣装を着替えてから先輩の元に行くと、彼はまだマダム姿のままだった。
 周りの視線が痛い。
「聖ちゃん、幸せになれた?」
「全然。第一俺、母親嫌いでしたし」
「うわっ。じゃあ逆効果!?逆に不快!?あっちゃー」
 頭を抱える先輩に苦笑する。
 こういう人だから。
 嫌になることはあっても、イマイチ嫌いになりきれないのだ。
「先輩」
「……何?」
 たまには素直にこの先輩に感謝してみてもいいかな。
 おかげで舞台を乗り切ることができたし。
「ありがとうございました」
 先輩は一瞬驚いたような顔をすると、満面の笑顔を浮かべた。

「……先輩。早く化粧落としてください。恥ずかしいんですけど」
「やーよー。ワタシ、これで聖ちゃんと踊るんだもーん」
「……」
「こらっ!今のは突っ込む所だろっ」

 まったく……どこまで本気でどこから冗談なのか。
 本当に、この先輩には敵わない。


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