季節外れの花火


 「曲できたん?」
とE組の教室にひとりの少女が飛び込んだ。
スタイルのいい華奢な少女だ。
ショートカットにしている。
窓際の最後尾にそして彼はいる。
赤茶がかった髪の顔立ちのいい少年だ。
「ん」
と頬杖をついて、彼は一枚の髪を指に挟んで差し出す。
「さすがやな、辰馬は」
少女は嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、紙を胸に抱いた。
「で、どーなのよ。メンバー揃った?」
頬杖をついたまま、少年は言う。
「まったく」
と少女は身振りつきで言う。彼女は実に多彩なアクションを見せてくれて、少年は彼女
のそんなところが好きだった。
「はあ、これだからヅラは。いい加減はずせよ」
そう少年が言った瞬間、少女の拳骨が入った。
少年は殴られた箇所をさすりながら少女に目をやった。
「ヅラじゃない!桂や!ええ加減名前で呼べばいいやんか。
うちだってあんたのこと辰馬って下の名前で呼んどるし、あんたやってうちのこと珠樹
って呼べばええやん」
と彼女は言う。
少年、辰馬ははあとため息を吐いた。
「そんなことしたら、学年の男子が卒倒しちまうよ」
「まあそらそやな。うち可愛いから」
頬に手を当ててくねくねとする珠樹を見て、辰馬はまたため息をつく。
「いや、俺が恥ずかしさのあまり、学年の男子を殴り倒しちゃうってこと」
「かわいないけど、案外正直なところあるんやな」
と屈託のないやりとりが繰り広げられる。
辰馬といえば、校内だろうと校外だろうと関係なしに折り紙つきの不良である。
喧嘩すれば負けなしで、様々な都市伝説を打ち立ててきた。
だが、こんな彼のやりとりから、そのようなことは微塵も感じ取れない。
担任からも丸くなったもんだ、と言われたほどだった。
「で、メンバーどうすんの?文化祭までの練習もあわせてまったくもって時間がありませ
んよ、珠樹さん」
そう言いながら、辰馬は手を丸めて珠樹の口元へ持っていく。
珠樹はメガネを持ち上げる素振りをして
「そうですね。やはりバンド部のメンバーに手伝ってもらうしかないんじゃないですか?」
「やはりそういうことになりますか」
「何せ、辰馬のお粗末なギターとうちの素晴らしいドラムの組み合わせはどうにもならんからな」
「正直な性格直しとけ」
そう言って辰馬は机にうつぶせになる。
「でもうちはあんたの歌は買ってんやで、だから今回はあくまで純粋なボーカルでいってほしいんよ」
窓に秋風がぶつかって砕けそして流れていく。
辰馬は霧散した秋風たちが気を取り直してまた突撃を繰り返す間、ずっと黙っていた。
窓の外をじっと見つめていた。
教室の中は騒がしい。
窓に映った珠樹の顔をちらりとうかがって辰馬は言った。
「歌さえ届けばそれでいいや」
珠樹はまた満面の笑みを浮かべ、それを窓越しで見た辰馬は少し赤面した。

 授業中に早々と弁当を済ませた辰馬には昼休み、珠樹と喋る以外にあまりすることがない。
別にクラスのなかに友達がいないわけではないが、彼らはいつも外でバスケットボール
をやっている。
辰馬は面倒くさがりなので、そういったことに極力参加したくないので教室にいるのだ。
それに大抵、珠樹が来るためある種では羨ましがられる存在でもあった。
何せ珠樹は人気がある。
可愛いし、人当たりはいいし、大らかだし、明るいし、面白いし、猫かぶらないし。
実際、辰馬だってそんな彼女のことを嫌いじゃない。
 辰馬は前髪を持ち上げると、ため息を吐いた。
どうせバンド部は無理だろうなあ、と小さく呟く。
バンド部の部長はいかにも質実剛健といった感じの好青年で、何より不良を嫌っている。
何でそんな奴がバンド部の部長なんだよ、と辰馬は思った。
まあこれはもっぱらの噂なのだが、その部長というのが珠樹に何度も告白してるというから性質が悪い。
珠樹と親密な辰馬を心底嫌っている。
何が何でも駄目だろう。


 やっぱりね。数日たってから、部長が駄目やって、と珠樹が言った。
「どうするん?」
「ギターとドラムだけでいんじゃね?」
と辰馬はさらりと返す。
珠樹は少し悩んだ後にそれでいいか、と頷いた。
「んじゃうち、部活やから」
と走り去っていく。
辰馬はスクールバックを背負うと校門を出た。
 すっかり秋も馴染んだものだ。
どっかりと腰を下ろし、葉を赤く染めて、空に鱗をばら撒き、葉を落としていく。
文化祭まで、あと10日。
曲の練習は大分前からきっちりやっている。
そもそも辰馬のつくる曲の調は合わせやすく、難しいものはない。
珠樹のドラムはプロに匹敵するとか言われてるし、少し練習すれば辰馬の書いた曲なら
すぐに出来てしまうだろう。
だから別に2人でいい。
バンドと呼べないのかもしれしれないけど、そこは目を背けるしかない。
 溶け込んだ銀杏の臭いに辰馬は思わず顔を顰めた。
腰まで下げたズボンをずりずりと引きずりながらだるそうに歩いていく。
辰馬は煙草を吸わない。
声を潰すようなことを絶対にしない。
どんなに言われようが、煙草は断固拒否してきた。
辰馬は自分の声が突飛していいことを知っていた。
そして、誰よりも繊細なことを知っていた。
一度、喉がつぶれて、元に戻すのに1年かかったこともあった。
だから、声は何よりも大切にしていた。
そして、その声を秋風に少し乗せた。

 珠樹が交通事故に遭ったのは文化祭の前日だった。
信号を無視して走ってきたバイクに跳ねられたのだ。
だがバイクはそのまま逃走した。
左腕の肘を骨折した。
珠樹は文化祭無理やね、悲しそうに言った。
辰馬は何も言えなかった。
入院はしていない。
そんなにひどいものではないそうだ。
でも文化祭には出られない。
そういう問題ではない。

 文化祭は珠樹が治るのを待っちゃくれない。
クラスメイトは辰馬の前でごった返している。
「珠樹ちゃん怪我しちゃったんだろ、んじゃバンド無理じゃん」
「ああ」
と辰馬は所在無く答える。
「どうすんだよ」
「うるせえなあ。いいよ別に」
「いいよって――」
1人のクラスメイトの言葉をさえぎって辰馬は机を叩いた。
「うるせっつてんだよ!」
山を押しのけて教室を出て行く。
沈黙の後に、クラスには辰馬の批判が飛び交った。


舌打ちをして、辰馬は廊下を歩いていた。
となるとバンド部の演奏のドラムはいなくなるのか、と辰馬は思う。
何だかイライラしてきた。
バンド部はどうでもいいが、クラスのヤツラの対応が盛り返して、無性に苛立たしかった。
誰も知らない癖によ。
と辰馬は心の中で呟いて、壁を蹴っ飛ばす。
 そのまま校庭に出た。
ステージでは、なにやらイベントが催されている。
本当はこの後、辰馬たちもあのステージの上に立つはずだったのだ。
そのまま、ステージ横を通り過ぎて、校舎裏に向う。
自動販売機に小銭を入れて、ミネラルウォーターを買った。
そして、校舎裏のダンボールが詰まれた隣にどっかりと腰を落としミネラルウォーター
で喉を潤す。
秋風が肌に浸透して寒い。
心までも冷やされるようで無性に寂しくなった。
  香佑がどうとか、そういう問題じゃない。
 何だか少し涙が出てきた。
胸ポケットに白い紙切れが見え、それを取り出す。
楽譜だ。
確か辰馬が一番最初につくった曲。
一番最初に珠樹に聞かせた曲だ。
“ギター下手やなあ。”
と珠樹に言われた。
“でも曲も詩もええと思うよ。いやおべっかやのうて。”

 間もなく、ステージで演奏が始まった。
はやりの歌やら、曲やら、オリジナルソングやらが辰馬の耳を素通りする。
しばらく呆けていたところで、バンド部の演奏が始まる。
まずははやりの歌を2,3本やってから、オリジナルを弾き始める。
辰馬は立ち上がった。
沸騰するような歓声が響くステージの横をまた通り過ぎ、今度はステージの裏に入っていく。
バンド部の他のメンバーが控えている。
珠樹もそこにいた。
「あ、辰馬。何でこんなところにおるん?」
珠樹は素っ気無い反応をする。
「歌うからに決まってんだろ。そんなこともわからんのかい?ヅラ君」
「ヅラやない。でも申請取り消し・・・・・・」
「うるせえ。世の中テンションを中心に回ってんだ。どうにかなる」
そう言って、バンド部の使っているギターをひとつ、持ち上げた。
「なんやそれ」
と珠樹は微笑を浮かべる。
「クラシックか。まあいいか」
ギターを一通り眺めてから辰馬は言う。
「今の俺のテンションがそうだから、テンションに全部任せちまう。
反論禁止。てめえは黙って聞いてろ。あとで愚痴は全部俺がさらっていくから」
「ベタやな」
うるせえ、そう言ったところで、バンド部の演奏が終わった。
バンド部部長のつまらない挨拶が始まろうとしていたところで辰馬はステージに上がった。
「皆さん、お聞きいただき――」
そう言ったとき、辰馬がステージに上り、マイクを奪い取る。
「な、何をするんだ」
「ごめん、申請取り消し、取り消し。ここから俺の舞台。時間オーバーしてんだから省いちまえよ」
マイクに向ってそう言って、辰馬は観客に手を振る。
観客にざわめきが走る。
「まあともかく、俺っちは一曲だけしか歌ってやんないから、耳の穴をきちんと掃除して
聞けよ、この野郎。
もっともそんな時間与えませんけど」
「何やってんだ。こんなこと許されると」
バンド部部長は言う。
辰馬はこいつの名前を覚えていない。
「坂部先輩お願いします」
珠樹が部長に向って言う。
「な、何を言ってるんだ」
「ナイス、珠樹!」
小声で辰馬は言う。
もっともマイクを介して、十分に響き渡っているが。
「お願いします」
珠樹が言うと、部長は舌打ちをして立ち去った。
「ちょっとスキャンダルが入ったなあ。この間に耳の掃除はすんだかい?
まあどうでもいいや」
明るく辰馬は言って、ギターの音を何度か確かめる。
そして、演奏を始めた。
前奏は激しくはじまり、ラストは少しゆっくりめに終わらせる。
これは客をなるたけ引き寄せ、余韻を残すためのコツだ。
もっとも、お粗末なギターでたどたどしく、見ててもその下手さが伝わるのだが。
観客はそんなお粗末なギターを見て、またざわつく。
だが、その刹那の後に場内に沈黙の霜が降りる。
 辰馬は歌い始めた。
ギターとは裏腹にそのよく通り、少ししゃがれながらも透き通るような声が響いた。
場内に降り立った。
誰一人として喋っていない。
目を瞑ったまま、マイクに向う辰馬に魅了されていた。

ただ聞く以外の五感の使い方を忘れてしまっていた。



「ダンパでねえの?」
辰馬は珠樹に聞いた。
「この腕じゃ出らへんやないか」
「そりゃそうだな」
辰馬は珠樹の隣に腰を下ろす。
「ギターは下手やった」
「知ってるよ」
「でも届いたと思うで。あんたの声は」
「そりゃどうも」
校庭の隅で、皆が踊る姿を眺める。
「別に香佑に届かなくていいんだ」
と辰馬は言った。
ギターをもう一度抱えると何度か弦を弾く。
「それともう一曲用意しておいた」
珠樹は辰馬を見る。
「お前に届ける歌」
「ベタやなぁ」
うるせえ、お決まりの文句をはいて辰馬は弦を弾いた。
出来るだけ静かに、秋風に乗せた。

 季節外れの花火がなる
 君に会ったのは去年だったっけ
 今年もまた季節外れの花火が響く
 花火のように、散っていくのか
 花火のように、咲いていくのか
 ともかく季節外れの花火が鳴り響く

 いろんな場所に行って
 いろんなことを知って
 そして、今年も花火が咲く
 来年は咲いているのか
 ともかく僕らはただこの楽しみにひたることしかできない

 君を知ったのは去年だったっけ
 あの日のように季節外れの花火が響く
 コスモスのように
 花火のように、咲いているのか
 
 季節外れの花火がなる
 季節外れの花火が響く
 僕らはまたここに座って
 花火を見ていたいね
 ともかく僕らはただこの楽しみにひたることしかできない  

  君は僕の隣で
 来年も笑ってるといいな
 微笑なんかじゃくて
 満面の笑みでさ
 あの光が君を照らして
 また消えていくのか
 明るさの中の君の笑顔を楽しみ
  暗闇の中の君の笑顔を楽しむ
 ここが僕の特等席
 
 季節外れの花火がなる
 季節外れの花火を見る
 僕の隣の

「ベタな歌詞やなあ。それに曲の修正をもちっとしなさい」
「別に俺はこれでいいと思うけど」
「――せやな」

校庭の真ん中に季節外れの花火が鳴り響いた。
秋桜祭は花火と一緒に消えていく。
来年も打ち上げられるかな。



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