ちょこれいと


 占いの世界で自分自身の事を占うのはタブーのひとつとされている。
 けれど、私は占うまでも無く知っていた。
 この恋が叶わない事を。 


「どうしたの、真南」
 従妹の高原真南は、バレンタインデーに手焼きのしょうゆ煎餅を配る。少しずれてい
るような気もするが、バレンタインデーのチョコレートを消化するのはかなり大変だ。
口直しとして真南の煎餅はとても喜ばれる。
 父親に渡す為だけにチョコレートを調理するはずの従妹が、今年は二人分の材料を調
達した。
 これは何かある。
 実は私も、真南から本命のチョコレートを貰った事がある。ずいぶんと昔の事ではあ
るが、頬を染め、おずおずと差し出す仕草に、不覚にもときめいてしまったりもした。
もう時効である。
「誰かにあげるの?」
 そっと訊いてみると、真南は消え入りそうな声で言った。
「想い人へ」
 彼女はつい最近前橋という一年生と付き合い出した。付き合うといっても、買物や映
画を見に連れ回されているだけのようだが、本人はなかなか楽しそうだ。という事はこ
のチョコレートは彼に渡すのだろうか。
「失恋は確実ではあるがな」
 ふぅ、と息をついてレジへ向かう真南の後を追いながら、私は思った。
 失恋? 前橋ではないのか?
 毎年、バレンタインデーはとても忙しい。文化祭や体育祭も忙しいが、行事の時は女
子か男子かどちらかの格好をしていればいい。だが、バレンタインデーはそうもいかな
い。男子である時には生徒会長の鳴海道治として受け取らなくてはいけないし、女子で
ある時には鳴海満春として配らなくてはならない。配る包みは五百個は下らないし、い
ただく量も同じくらいだ。かなりの重労働である。真南の方は五十枚ほど焼く予定のよ
うだが、それにしたって大変な作業だ。
 もはやバレンタインデーではなく、お菓子まきである。
 それはそうと、一体、真南の想い人は誰なのだろうか。
 私の頭の中に、一人の顔が浮かんだ。十中八九、間違い無いであろう。しかし……。
 どうしてあんな奴が良いんだ? 


 バレンタインデーは、秘めた想いを伝える日。
 皐月も頑張っているだろう、などと考えながら校門をくぐる。
 世話になっている者に合う度、紙袋の中に入れて来た煎餅は減る。しかし、奥に入れ
た若草色の包みだけは、無くなる事なくそこにある。
 心がどきりと音を立てる度、私の気持ちに気づいて切なくなる。恋とは呼べないほど
ちっぽけな想いではあるが、半年も心をしめていたのだ。伝えるに値する。
「あ、会長! おはようございまーす」
「おはよう」
 佐藤兄弟だ。ごくりと息を飲み、包みを取り出す。そして、
「……さ」
「そういえば、草薙さん見ませんでしたか?」
 兄の春樹が弾んだ声で鳴海に訊いた。
「草薙? 皐月ならもう来ていると思うけど」
「いえ、妹の方です」
「あぁ、諸羽嬢ね。多分今日も欠席だと思う。出席する時は、皐月から打診があるもの。
ほら、途中で授業受けられなくなったら生徒会室にいてもらってるから」
「そうですか……」
 その声を聞いて、やっぱりだめだ、と悟った。私は若草色の包みを仕舞い、煎餅を二
枚取り出す。
「春樹、夏樹。良かったら食べてくれ」
「なんですか?」
「手焼きの煎餅だ。煎茶と一緒に食べるとなかなか美味いぞ」
「「ありがとうございます」」
 二人は同時に頭を下げ、挨拶をしてから昇降口を去った。
「渡せなかったね」
 鳴海は青年の顔に戻って言う。その顔は女子の制服には似合わない。
「……そうだな」
 この従兄には敵わない。私はそっと溜息をついて下駄箱に寄り掛かった。
 恋なんてしても、報われないのに。
 それでも私は夢を見る。
 普通の少女のように、幸せになれたら。
 巫女として神の声を聞く私にはとうてい叶わぬ事ではあるけれど。 


 文化祭の時に知り合った前橋という後輩に、真南はしょうゆ煎餅を渡したらしい。
 放課後、誰もいなくなった生徒会室で、泣きながらチョコレートを食べる真南がいた。
 あれからふっきれたのだろうか。
 それだけが、心配である。 



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