チョコ


「なぁなぁ! しょう、チョコ! 作ろ!」 
 新富唯子は机に伏せて考え事をしていた芥原しょうの肩を揺すり、大声で叫んだ。 
 しょうは顔を上げた。考え事の世界から急に引き戻され、混乱した頭をぽりぽりと掻く。 
「あ、唯。……チョコって、何?」 
「もう。明日、二月十四日!」 
 唯子がじれったそうに足をとんとんと鳴らす。しょうは首をかしげて、しばらく考え
込んでから答えた。 
「林与一の誕生日?」 
「誰やねん! ちゃうわ! バレンタインじゃ! あのな、しょうってお菓子作るのと
か上手いやろ?」 
「別に上手くは……」 
「だって家庭科の時ひとりで勝手にクッキー焼っきょったやんか。皆が頑張ってお味噌
汁作りよる時に。あれ、先生めっちゃ困っとったで」 
「……あれは急にクッキー食べたくなったから」 
「あれ、めちゃおいしかった。あ。ほんじゃ、今日の放課後うちの家な! うちの家知
らんよな? 帰る時にD組に迎えに来るわ」 
 立ち去った唯子の後姿をしばらく眺めていたしょうはまた、机に伏せて考え事を始めた。 

 バレンタイン、か。別にあげたい人はいない。人にあげるより自分で食べた方がずっ
といいと思う。 
 それにもしあげた人がチョコ嫌いだったらどうするんだろう。もしあげた人が自分の
事が嫌いで受け取ってくれなかったら? そんな怖い事、したくない。……唯は誰にあ
げるんだろうか。 

「え? 誰に……って」 
「もし、チョコ受け取ってもらえなかったらどうするの?」 
「ええ……と」 
 帰り道、しょうのストレートな質問に唯子は言葉を詰まらせた。 
「んー、しょうは誰にもあげへんの?」 
「しょう? しょうはあげない。だって、人にあげてどうするの? 自分で食べた方が
いい」 
 しょうは当然、といった様子で答える。唯子はうぅん、とうなった。 
「もし、あげんかったら自分の好意は伝わらんやろ? あげへんよりはあげた方がずっ
とええと思うんや。もし受け取ってもらえんでもな」 
 言ってから、唯子は顔を赤くして付け足した。 
「はずい事言うてもたわ。……うち、アホやからよくわからんのやけどな」 
 しょうは小さく頷いた。 
「……ちょっとわかった。唯、材料は買ってるの?」 
「買うてへん」 
「じゃ、買いにいかなきゃ。……バターと」 
「しょう」 
 しょうの言葉をさえぎり、立ち止まって唯子が声をかけた。それにつられてしょうも
立ち止まる。 
「誰かにあげるん?」 
「……気に入ってる子に」 
「へぇ、誰?!」 
 そんな子おったんや、と心の中で呟いた。 
「なーいしょ」 
 しょうは意地悪く笑って、はやく行かなきゃと早足で歩き始めた。 


「おはよー」 
 朝、廊下でしょうと会った唯子は元気に声を掛けた。 
「……おはよ」 
 しょうはいつも通り、小さな声で返事をすると鞄から可愛くラッピングされた小さな
包みを取り出した。 
「これ、あげる」 
「うぇ? うちに?」 
 唯子が驚いて尋ねる。しょうはこっくりと頷いた。 
「……しょうが気に入ってるのは唯子だよ。女の子が女の子にチョコあげちゃいけない?」 
「そんな事ないけど。しょうが昨日おーげさに言うから!」 
「大袈裟じゃないよ。コレ、受け取ってくれる?」 
「あ、はい。もちろん。ありがとう」 
 唯子が包みを受け取ると、しょうはにっと笑って言った。 
「……お返し、楽しみにしてる。楽しいのね」 
「あぁ、はいはい」 
 じゃ、と手を振って各自の教室に分かれた。後ろから、しょう! と呼ばれた。 
 振り向くと唯子が照れたように笑って言った。 
「忘れとったけど、またうち来てな」 
 しょうは笑って、大きく頷いた。 
 ……人に何かあげるっていうのも悪くない。 
 いつもより強く教室のドアを開けた。 



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