は遠く近く


「うっわ、めっずらしー。ヘルムートが目安箱なんて」

「ゴホ…っ。ジェレミー。勝手に見るのはよした方が…」

「いーじゃん。トリスタンも何書いてあるか気になるだろ?」

「そりゃあ……まぁ」

「えーっと…なになに……」

「……どうした?」

「……難しくて読めねぇ」

「……わかった。俺が読もう」

「わーい。トリスタン愛してるー」

「…やめてくれ…。ゴホッ」

 

 

 

 最近、背後に視線を感じる。

 毎日毎日、何故見られ続けているのか。

 俺を恨む者は多いだろう。

 だが、一切殺気は感じないのだ。

 いい加減気になって振り向いてみると

 

 

「……何だ、お前は」

 急に振り返られたことに驚いたのか、少年は上ずった声で答えた。

「ユ…ユージンです……」

「そんなことはわかっている」

 彼が船にやってきたのはヘルムートがここに来たすぐ後のことだ。

 なので印象には残っている。

 いつもびくびくしていて、極端に自分に自信がない。何故この船に乗ったのか謎で仕方

が無かった。

「何の用だときいている」

「あ……えっと…」

 ユージンは気まずそうに視線を漂わせ、やがて意を決したようにヘルムートを見上げた。

「ヘルムートさんってとても強いですよね」

「少なくともお前よりはな」

「それに凄く格好良いというか…」

「褒めても何もでないが」

「い…いえ…。その…そうじゃなくて……」

 ユージンはまた不安そうに視線を漂わせる。いい加減イライラしてきた。

「言いたいことがあるならはっきり言え」

「は…はいっ」

 ぴっと背筋を伸ばすユージン。

 そして彼はとんでもないことを口走ったのだ。

「ぼ…僕を弟子にしてください!」

「…………は…?」

 

「それで?断らなかったのか?」

 尋ねてくるハーヴェイの声は明かに楽しそうだった。

 こいつ、他人事だと思って。

「断った。断ったんだが……」

 言ってやったのだ。

 自分は剣専門で槍のことはよくわからない。

 槍ならリノにでも教わったらどうだ、と。

 それに弟子をとるような身分でもない、と。

 だが、ユージンは首を横に振るだけだった。

 

”僕、ヘルムートさんがいいんです”

 

「ははは。随分と惚れられてんなぁ」

「どうしたものか……」

 あそこまで真っ直ぐに頼み込まれると邪険にもできない。

 ハーヴェイは肩をすくめると軽い調子で言った。

「まぁ、いいんじゃねーか。教えてやれよ。今は一人でも強い人材が居た方がいいだろ」

「それはそうなんだが……」

「何か問題でもあるのか?」

「あ、ヘルムートさんっ」

 噂をすれば何とやら。

 ユージンの声だ。

 彼は息を切らしながら、こちらに向かって走ってくる。

「探したんですよっ」

「…おい、そこは段差があるから気を付け―――」

「うわあっ」

 こけた。

 ヘルムートは頭痛を覚える。ハーヴェイが今にも腹を抱えて笑い出しそうな表情で彼の

方を見た。

「……もしかして、すっげー鈍くさい?」

「もしかしなくてもそうだろう」

「なるほどねぇ。こりゃ大変だわ」

 こらえきれなくなったのか、ケラケラ笑いながらハーヴェイはヘルムートの肩を叩く。

「ま、頑張れ。ヘルムート先生」

「……死にたいのか…?……おい、ユージン。怪我は……」

 手を差し出す前に、ユージンは自ら立ち上がり敬礼をしてみせた。

「も…問題ありませんっ。これくらい平気です」

「お。けっこう根性あんじゃん」

 ひゅーと口笛を吹くハーヴェイ。ヘルムートは溜息をつき、ユージンに歩み寄った。

「今日は何の修行ですか。素振りならいくらでも……」

「その前に医務室に行くぞ」

「え?何でですか。僕、怪我なんて―――」

 ヘルムートはユージンの言い分を無視し、彼の腰に手を回して持ち上げる。そのまま肩

に担いだ。

「ヘ…ヘルムートさん…!?」

「挫いた足で素振りなどできるか。強がりは本当の強さには繋がらない」

「…………はい…。す…すいません…」

「わかればいい。…ハーヴェイ」

「うわっ。何だ」

 事の成り行きをぼけっと眺めていたハーヴェイは、急に声をかけられびくっと体を震わ

せる。

「悪いが失礼する」

「あ…ああ。お大事に……」

 ヘルムートはユージンを抱えたまま通路の向こうに消えていった。

「ユージン。お前、軽過ぎるな。もう少し食べろ」

「え…。き…今日はいつもより沢山食べたんですけど……・」

「……何だ。けっこう上手くいってるんじゃん」

 ハーヴェイの苦笑混じりの呟きは、ヘルムート達の耳に入ることはなかった。

 

 幸い捻挫は軽く、2、3日すれば完治するとのことだった。

「今日一日は大人しくしているんだな」

「…はい。すいません……」

「…」

 本当はこのまま去ろうと思っていたのだが、ユージンが泣きそうな顔で表情を伺ってく

るので、ヘルムートは仕方なく椅子に腰掛ける。

「何だ」

「え?」

「言いたいことがあるのならはっきり言え」

「あ…」

 ユージンは少しためらってから口を開いた。

「…ヘルムートさん。僕は弱いです…」

「何を今更」

「足手まとい……ですよね」

「まぁ、そだろうな」

「う……」

 ユージンが否定してくれることを望んでいたのはわかる。しかし、気休めを言うのは逆

に残酷なことだ。だから、ヘルムートは真実しか口にしないようにしている。

「こけたくらいで何をそんなに落込んでいるんだ」

「……ヘルムートさんに、迷惑かけました……」

「…何だ。そんなことか」

 軽く応じるとユージンは驚いたようにこちらを見た。

「これくらい迷惑でも何でも無い。それに俺になら迷惑くらいいくらかけても構わない。

船員全員にかかる迷惑さえしなければな」

「ヘルムートさん…」

「落込んでいる暇があったら、さっさと捻挫を治せ」

 立ち上がって部屋を去ろうとしたヘルムートの腕をユージンが掴む。

「ヘルムートさん。僕、強くなりたいです。足手まといにだけはなりたくない」

 ……良い目をしていた。

 どこまでも真っ直ぐで、純粋に強くなることを願う目だ。

 鈍くさくても、弱くても。

 すぐに折れるような心ではない。

 ―――案外、強くなるかもな

「…わかった。覚えておこう」

「はいっ」

 ヘルムートが応えると、ユージンは嬉しそうに微笑んだのだった。

 

「ヘルムートさんっ。今日は何をやりますか?」

「ああ。すぐに行くから甲板で待っていろ」

「はいっ」

 あれから数日。

 ヘルムートとユージンの修行はほぼ日課になっていた。

「何だかんだで熱心に教えてやってんじゃん」

「案外筋が良くてな。以前に比べるとかなり強くなった」

「そりゃそうだろうな。教えてんのが憧れのヘルムート大先生だもんなぁ。他の人が教

えるのとじゃ、気合の入り方がちげーや」

 ヘルムートは眉をひそめハーヴェイを見た。

「……どういう意味だ?」

「この前さ、ユージンに訊いてみたんだよ。何で他の誰でもなく、ヘルムートに弟子入り

しようと思ったのか」

 それはヘルムート自身も気になっていたことだ。

 この船には強い者などいくらでもいるだろう。それこそ、槍ならばリノに教われば良い。

「闘う姿がさ、綺麗だったんだと。惚れちまったんだってさ。それからずーっと憧れてて、

ずっと目で追ってたって」

「…何を……」

「愛されてんねぇ」

 冗談めかして言うハーヴェイ。彼はふと真面目な顔になり、続けた。

「応えてやりな。あんなに純粋に慕ってくれる奴なんてなかなかいないぜ?」

「応えてやるといっても……」

 どうすればいいのかわからない。

 真っ直ぐで純粋に向けられる感情。

 そんなものの受け止め方、俺は知らない。

 ユージンに限らずこの船の者は皆そうだ。

 何故敵だった男に優しくできるのか。親しくなろうと思えるのか。

 理解できないから、戸惑う。

 

『ヘルムートさん、見てくださいっ。突きが速くなったんです!』

『…あまり変わっていないように見えるが』

『ひ…ひどいですよ……』

『…冗談だ。大分良くなってきたな』

『わ…っ、ほんとですか…っ?』

 

 ……戸惑う。

 少しずつ馴染んでいく自分にも。

 素直に受けとめていいものなのか、と。

 ユージン。

 俺はお前が慕うほど価値のある人間なのか?

 戸惑う。

 少しずつ彼といる時間に心地よさを感じている。

「俺は…」

 何か言葉を紡ごうとした瞬間、船体が大きく揺れた。

「…何だ?」

 甲板から聞こえてくる悲鳴。必死の形相で駆け込んで来た青年を捕まえ、ハーヴェイが

尋ねた。

「何があったんだ?」

「き…巨大なイカが甲板に……っ」

「状況は?」

「す…すぐに逃げてきたからよくわからないんだけど……。ひ…一人、ほら、ヘルムート

さんがよく一緒にいる男の子だよ。あの子が…女の子を庇って怪我を……」

「っ」

 全て聞き終えないうちに、ヘルムートは甲板に飛び出していた。

 

 巨大イカは甲板に乗り出し、太い触手をうねらせていた。

 応戦しているのは4人。

 アカギとミズキとタル。

 そして小さな女の子を後ろに庇いながら槍を構えているのはユージンだ。遠くからでは

よくわからないが、頭と左腕から血が流れているようだった。肩で息をし、足は震えてい

る。

 ヘルムートは素早く彼らに近づくと、女の子を左脇に抱え、ユージンを右腕で抱き上げ

た。

「わ…っ。ヘ…ヘルムートさ……」

「馬鹿かお前は。そんな傷でまともに戦えるか」

「で…でも、僕……っ」

「アカギ。任せても平気か」

「おうよ。援軍も来たようだしな」

「そういうこと」

 ハーヴェイがアカギの隣に並ぶ。スーが走ってくる姿も見えた。

「こんなイカ、ちゃっちゃっと倒しちまうって。ヘルムートはユージンを」

「……すまない」

 

 船内に戻り、適当な所で少女を降ろしてやった。

「怪我はないか」

「うん。平気」

 この少女よりも問題はユージンだろう。出血はかなり酷く、早く医務室に連れていかな

いと危険だ。

 危険なのだが―――

「……何を泣いている」

 彼はヘルムートの首にしがみつき、肩を震わせていた。

「だ…だって……僕…あ…足手まとい……で…っ。ま…また……ヘルムートさんに…迷…

惑か……かけて…っ」

 溜息が出た。

「ほ…ほら…っ。あきれてるんでしょう……?ぼ…僕が弱いから……っ」

「何故そうなる」

「…え…」

「お兄ちゃん」

 少女がユージンの服の裾を引っ張った。ユージンは顔を上げ、少女の方を見る。彼女は

にっこりと微笑み、

「お兄ちゃん、格好良かったよ?助けてくれてありがとう」

「あ……」

「お前は弱くない。弱かったらこの子を庇うことなんてできなかったはずだ」

 ユージンの瞳からまた涙が零れ落ちる。

「……よく頑張ったな」

 こんな台詞。

 以前の部下達が聞いたら目を丸くするのだろうが。

 心から褒めてやりたいと

 そう思った。

 

「お、ヘルムート。今日も見舞い?」

 医務室に向かう途中、ハーヴェイに出くわした。

 ……嫌な相手に会ったな。

 どうもこの男にはヘルムートがユージンといることを面白がっている節があるのだ。

「…何か文句でもあるのか」

「や、ねーけど。ぞっこんだなぁ、と思って」

「…はあ?」

 ハーヴェイはくくくと笑う。

「ヘルムート。お前さ、ユージンのこと好きだろ?」

「……何を急に」

「だってさぁ。ユージンを助けに行った時の顔、必死だったぜ?きちんと状況を把握しな

いまま、飛び出しちまうし。お前らしくない」

「あの時は我を忘れて……」

「何とも思ってない奴を我を忘れてまで助けに行くのか?」

「……」

 それを訊かれると何も言えなかった。

 自分でもわからないのだ。

 何故あの時、あそこまで必死になったのか。

 一番大事なのは任務。

 命に従い、その為に戦う。

 それが全てだった。

 少なくとも以前は……この船に乗るまでは、誰か一人に心を動かされることなどなかっ

たはず。

 なのに、今は何だ。

 たった一人のことが気になって仕方が無い。

 ついつい手を焼き、見守ってやりたいと思ってしまう。

 慕ってくれることがたまらなく嬉しいと思ってしまう。

 この気持ちは……何だ?

「恋……なんじゃねーの?」

「何を馬鹿な……」

「まぁ、違うにしてもお前がユージンに好感持ってることは確かだろ」

「…」

「ま、いーや。早く行ってやりな。ユージンが待ってるぜ」

 

 

 命に従い、その為に戦う。それが全てだった。

 

「ああ。ユージンくんなら起きてますよ。暇そうにしているので会ってあげて下さい」

 

 それが

 

「あなた表情が柔らかくなりましたね」

「そ…そうか……?」

「ええ。自分では気づかないかもしれませんが、ユージンくんと居る時、とても優しく笑

っていますよ」

 

 それが、今は何だ。

 気になって仕方が無い。

 そばにいたいと思う。

 誰かと居て楽しいと

 嬉しいと思えるなんて

 

 こんな気持ちは初めてだ。

 この気持ちは……何だ?

 

 

”恋…なんじゃねーの?”

 

 

「あ、ヘルムートさんっ。今日はいつもより遅かったですね」

「……ああ、ちょっとな」

「もう少しで動けるようになるらしいんですよ。そしたらまた色々教えてくださいね」

「……ああ、そうだな」

「あの……ヘルムートさん…?」

「……」

「え?…わっ!か…顔…っ。顔、真っ赤ですよ!?ね…熱…!?熱ですか!?ユウ先生!

ユウせんせーいっ」

 

 

 ……ああ、困った。

 ハーヴェイがあんなことを言うからだ。

 気づいてしまったじゃないか。

 

 

「……マズイな。俺としたことが……」

「え?」

 

 

 気づいてしまった。

 誰より君が、一番愛しいこと。

 

 

 

「……のろけ話?」

「……の、ようだな」

「何かむかつくから燃やすか」

「こらこら」

「にしてもヘルムートがねぇ。へぇ〜」

「……何か見てはいけないものを見てしまったような……」


                                おわり

■あとがきという名の言い訳
こうしてこの文章がスーに読まれることはなかった(え。
マイナー過ぎる!というか扱ってるサイトさんなんてあるんでしょうか。
ヘルムート×ユージン。
本編でまったく絡みの存在しないお二人のカップリングです。
ユージンのお話が書きたかったんですね。
で、お相手は誰がいいだろう、と。
真っ先に浮かんだのがヘルムートでした。
根拠やら理由は一切ありません。あえていうなら何となく(笑
本当にぱっと浮かんできたんです。私の脳内、どうかしてます。
で、書いてみたら案外いいんじゃないかと思ってしまったり。
ヘルムートみたいな堅物さんにはユージンみたいな純粋鈍々少年がお似合いなんじゃないですかね。
え、私だけですか?(笑
勝手に今最も熱いカップリング。
これからも度々ほのぼのバカップルぶりを書いていくかもしれません。
むしろ当サイトのメインカップリングに!(え
ハーヴェイさんはヘルムートさんとユージンくんを温かく(?)見守っていくつもりらしいですよ。
バカップルだなーとか思ってるわけです。
自分とシグルドのことは棚に上げられてます。

BACK