第1話〜予想外な出来事〜

 自分の性癖はよくわかっているつもりで
 絶対に女なんか好きにならないと思っていた
 でも、それは突然舞い降りたのだ


「お疲れ、愛ちゃん」
「……どーも」
 グラスを受け取って、中の水を一気に飲み干した。喋りっぱなしだったので喉が痛い。
 目の前にいる長身のチャイナドレスを着た美女がにこにこしながらそれを見ている。
 ……訂正。美女じゃなかった。
「いやー愛ちゃんが来てくれてから大分助かってるよ。今月も売上が凄いったら」
「…の割には俺の給料安くないっすか」
「高校生に高額なお金は払えません」
「店長のケチ」
「雇ってあげてるだけ感謝しなさいな。これ、ばれたら私警察行きよ」
 それを言われてしまったら返す言葉もない。17歳の俺が水商売をやっていること事態お
かしいのだ。
 一年前、父親が女を作って家を出た。母親はとっくの昔に他界していたし、親戚もそん
なには援助はしてやれないというので、仕方なく自分で生活費を稼ぐことにしたのだ。生
活費の他に(私立なので)馬鹿高い学費もある。とてもじゃないが普通のバイトだけで生
活できるような状況ではなかった。
 そこで考え付いたのがこっちの道。
 別にナルシストってわけじゃないが、ルックスには多少自信がある。中学時代から女子
からの告白が絶えなかったし、男に告白されたことも何度かあった。
 ようするに中性的な顔なのだ。背も169cmとそれほど高くはないし、がっしりという
よりは細身だった。
「一ついいですか、店長」
「何?」
「このチャイナ……スリット深すぎないですか?」
 まだ脱いでいなかった今日の営業服の裾を抓みながら、店長を見上げる。
 歩いて下着が見えるか見えないか、ギリギリの線だ。
「いいのよ。あんた、足綺麗なんだから」
「セクハラしてくださいって、言ってるようなもんじゃん。健全な高校生になんてことさす
んですか」
「こんな仕事している時点で健全じゃないでしょ」
「う……」
 別に性格が女々しいとかそういうわけではないけれど。どういうわけか、俺は女にはま
ったく興味が持てなかった。昔から好きになるのは男ばかり。原因はこの"愛"とかいう
女のような名前なのではないかというのが俺の推測だ。
 だからホストよりもゲイ・バーで働くことを選んだ。最初は年齢を誤魔化して入ったの
だがすぐにばれてしまった。でもこの店長は情にもろいようで、事情を説明すると雇って
くれることになったのだ。それから約一年、このバイトは続いている。
 店長は長くて綺麗な髪を撫でながら言った。
「あんたもさ、髪伸ばせばいいのに。いちいちウィッグかぶるのも面倒でしょ」
「俺、一応昼間は普通の男子高校生なんですけどね……」
「じゃあ女生徒として過ごせば?絶対ばれないわよ」
「やですよ。俺、ゲイだけどオカマじゃねーもん。ちゃーんと自分のことは男だと思って
んの」
 進んで女みたいなひらひらしたものを着ようとは思わない。このドレスはあくまで仕事
だから、だ。
 グラスをテーブルに置き、息をついた。
 マズイ。相当疲れてる。
「うあー……明日学校行けっかな……」
「人気NO1は辛いわね。休んじゃえば?」
「出席日数ギリギリなんスよ。大学行きたいとか我侭は言わないけど、高校は卒業しねえ
と」
 テーブルに片肘をつきながら言う俺の頭を店長が軽く叩く。
 俺はこの人のこういう父親のような母親のような温かい感じが好きだ。
「えらいえらい。頑張れ、青少年」

 バーの営業は午前2時まで。客から個人的な誘いがない限り、0時には帰してもらうよ
うにしている。少しは睡眠をとらないと、学校に行くのがきついのだ。
 風俗街は午前1時を回ろうとしている今も、まだまだ賑やかだった。女達が甘ったるい
声で呼びこみをしている。
 そんな中、俺は何とも場違いな声を聞いた。
「あ…あの……すいません。私、そういうんじゃなくて……」
 目線を移すと小柄な女が二人のホストらしき男に囲まれている。こういう場所に慣れて
いないというオーラが全開だ。ああいう女は狙われやすい。
「わ…私、帰らないと……」
「いいじゃないか。少し遊んでいけって。お嬢ちゃん可愛いからサービスしちゃうよ?」
「で…でも、私……っ」
「いいからいいから」
「や…っ」
 ……あーもう……仕方ねえなあ……
 俺は溜息をつくと、女とホストの間に割って入った。にっこり笑って一言。
「すいません。これ、うちの客なんで」
 言うやいなや女の手を掴み、そのまま走る。
「きゃ……っ。え……っ、何……?」
「いいから黙って走れっ」
 明るいネオンが消え、街灯が一つしかない小さな公園に入った。そこで足を止め、女の
手を離してやる。女は息を整えると顔を上げた。
 その顔に「え」と眉を潜める。
 身長は150cm以下。体は小さく、触っただけで倒れてしまいそうだ。
白い肌。大きな瞳。肩までくらいの髪を三つ編みにしてたらしてある。普通の男が見たら
一瞬にしてさらいたくなってしまうような容姿かもしれない。
 どこからどう見ても中学生程度にしか見えなかった。
「えーっと…危ないよ。女の子があんな所に一人でいちゃあ……」
 俺も人のことは言えないのだが一応注意しておくことにする。
 現に危なかったわけだし。
「え……危ないんですか?」
 少女は不思議そうに顔をしかめた。
 おいおい。全然わかってねえぞ。
 今時こんな純情な子も珍しいんじゃ……
「いったい何してたわけ?」
「あ、はい。お父さんの忘れ物を届けに……」
「あ、そう。……………って、は?」
 お父さん?
「……何、お父さんあそこで働いてんの……?」
「はい」
「それはつまり……水商売ってこと?」
「水……何ですか?」
「いや…わかんないんなら、いいや」
 少女は「あ」と何かを思いついたような声をあげると荷物の中から白いカードを取り出
した。
「父の名刺です。見ます?」
「あ……どうも」
 受け取った名刺に書かれていたのは……

 ホストクラブ「ルナ」店長
          佐々原 瑞希

 ――ホスト……!?しかも経営者……!!
 俺は唖然として少女を見る。
「…君さ…ホストってどういう仕事か知ってる…?」
「あ、はい。お客様と一緒にお酒を飲んだりするんですよね!」
「……」
 まあ、確かに間違ってはいないけど。
「あなたはあそこで何してたんですか?」
「え…っ!えーっと…俺も母親の忘れ物を届けに…?」
「あ、そうなんですかあ」
 んなわけあるか。
 どうもこの少女、天然な上に相当の箱入りらしい。
「とにかく助けてくれてありがとうございました」
 頭を深く下げてから背を向けようとする少女にふと不安を覚え、腕を掴む。
「ちょっと待て。一人で大丈夫か?なんなら送るけど……」
「あ。近いから大丈夫です」
「そっか。ならいいんだけど」
 腕を離してやると少女はそのまま帰ろうとはせずに、俺を見上げてきた。何だろうと見
下ろすと少女の口元が緩む。
「優しいんですね。本当にありがとうございました。今度会ったらお礼させて下さいね」
 笑った。
 それはもう全開の笑顔で。
 俺は何故かその笑顔から目を離せなかった。
 少女が背を向け、歩き始めてからもしばらくそれを見つめ続ける。
 少女が見えなくなってからもずっとずっと。
 綺麗な笑顔だった。
 一瞬そこだけ花が咲いたようで……
 何というか、ああいうのを可愛いっていうんだろうなっていうか……


「あれ……?」


 可愛い?
 可愛いだって?
 誰が?
 あの子が?
 俺が
 そう思ったのか……?


「ちょっと待て。……は…?嘘だろ……?」


 男にしか反応しなかったはずの心臓が、壊れたように激しく鼓動を刻んでいる。
 顔が熱いのは気のせいだろうか。
 どんなに意識の外に出そうとしても、少女の笑顔が消えてくれなかった。
 ちょっと待て。
 本気か、俺。
 本気なのか。


「……ありえねえ……」


 俺は口元を手で抑えながら「気のせいだ、絶対何か勘違いだ…!」と呟きながら家路に
ついたのだった。



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