12時33分


 時計を見た。午後12時32分50秒。
 そろそろ彼女が来る頃だ。
 ――3、2、1……
「九条篠っ!今日こそは午後の授業に出てもらいますからね!」
 豪快に屋上のドアを開けて、彼女が現れる。
 時刻は午後12時33分ジャスト。
「すっげー。本当に毎日数秒の狂いもないよな、委員長」
「何の話ですか」
「や、別に」
 篠は購買で買ってきた焼きそばパンをぱくつきながらフェンスにもたれかかった。今日
も空は青い。風紀委員長こと二ノ宮梢はあきれたように溜息をついた。
「毎日空ばかり見て……よく飽きませんね」
「だって俺、空好きだからさー。委員長だって好きでしょ、空」
「そりゃ好きですけど……」
 彼女は天文部に所属している。放課後、望遠鏡を覗いている姿を篠は何度か見たことが
あった。
「…って、話がそれてます!午後の授業は―――」
「ヤダ。寝る」
「く・じょ・う・く・ん?」
 梢に睨まれても篠は少しも怯まない。
「だって、あれだろー。体育祭の種目決めだっけ?俺、体育祭さぼる気満々ですよ?」
「あなたって人は…!確か秋桜祭もろくに参加しませんでしたよね……?」
「委員長が忙しそうだったからね。全然俺のこと構ってくれないんだもん」
 唯一梢とできたことといえば、篠が強引に引っ張っていったダンスパーティくらいだ。
「だもんって……。九条くん、友達作ろうとか思わないんですか?」
「いらないですねー、そんなもの。俺、委員長がいればいーし」
「…っ」
 梢の顔に一瞬で血が昇った。彼女は肩を揺らしながら、屋上を去って行く。
「あれ…?」
「あらら。ふられましたか、篠ちゃん?」
「黙れ、霊感少年。ていうか煙草くさっ!」
 薫が吐き出した煙を篠は鬱陶しそうに振り払った。
「何だよー。篠ちゃんも吸えばいーのに」
「煙草とお酒は二十歳になってからです」
「……お前、割りと常識人だよね。何で悪ぶったりしてるわけ」
「別に俺、悪ぶってるわけじゃないけど」
 煙草も吸わなければ、暴力を振るったこともない。これといって問題は起こしていない
のだ。ただ、髪が金髪で目が青くて授業をさぼっているだけ。それだけで何故不良という
イメージがついてしまうのか。そんなふうに自分を思っている奴と関ろうとは思わない。
だから益々、さぼりたくなるんじゃないか。
「体育祭…ね」
 集団競技が嫌いな篠としては絶対に出たくないのだが……

 時計を見た。午後12時33分ジャスト。
「来ないな…委員長…」
 いつもならこの時間に必ず来るのに。
「やっぱ振られたかぁ?」
「黙れ、煙草野郎」

「珍しいな、梢。この時間に教室にいるとは……」
「…」
「今日は九条の所には行かないの?」
 皐月の問いかけに梢は深いため息をついた。
「私、彼を構い過ぎでしょうか…」
「構い過ぎって…。更生させるためだろ?」
「それはそうなんですけどぉ」
 机に突っ伏してうなる梢。どうも彼女らしくない。
「うるさく言えば言うほど九条篠は楽しそうに笑うばかり…。最近じゃ私が来るのを見越
してさぼっているようにも見えるわけで……。駄目ですね。これは絶対に良くない傾向で
す!!」
「はぁ。それで、しばらく放っておくことにした、と」
「そういうことですね」
 それって逆効果なんじゃあ…?
 皐月は思ったが口には出さないことにする。
 梢にぞっこんな篠だ。彼女が屋上に来なくなったら、彼はそれこそ学校にすら来なくな
るかもしれない。
「まぁ、それはいいとして……。どう?そっちの団長は決まったの?」
「……」
 梢は恨めしげな視線を皐月に送った。梢は体育祭の3−Aクラス委員もやっているのだ。
「……決まってないんだな…」
「みんな面倒がって立候補してくれないんですよ…。推薦しようにも3−Aはイマイチぱ
っとしない人ばかりで…」
「…九条は?」
「……はい?」
「だから、九条篠。やつに団長やらせてみたらどうかな」
 皆怖がって目を合わせようとしないので、一部の生徒にしか気付かれていないが篠はか
なり整った容姿の持ち主だ。身長も高く運動神経も良いので、確かに団長にするには申し
分なかった。
「…あの九条篠がそんな面倒なことやると思いますか?」
「…やらないな」
「でしょう?」
 梢はもう一度、深い溜息をついた。

「…今日も来ない…」
「決定打だな。篠ちゃん」
 ぽんと肩を叩いてきた薫を篠は睨みつけた。
「おーこわ。にしてもさー。あのうるさい女のどこがいいわけ」
「全部」
 はっきりきっぱりと答える篠。ヤキソバパンを口に押し込み、屋上のドアを開ける。
「どこ行くんだよ」
「教室」

 どうも昼休みの廊下を歩くのは気が滅入る。皆が皆、篠に注目し何やらこそこそと噂話
を始めるのだ。
「あれでしょ。暴力沙汰おこして前の学校追い出されたっていう…」
 ――俺は入学式からずっとこの学校ですが…?
 いちいち突っ込むのも面倒なので、一瞬睨んでやるだけにした。
 ちなみに彼のこの行動が益々悪いイメージを植付けているのだが、本人にまったく自覚
はない。
 教室に続く廊下の途中で見覚えのある後ろ姿を見つける。
「委員ちょ…」
 声をかけようとして、止めた。
 彼女が男子生徒に頭を下げていたのだ。男子生徒は首を横に振って、廊下を歩いていっ
てしまった。あとには肩を落とす梢が残る。
「あれって、うちのクラスのやつ?」
 梢の横に並び尋ねてみた。
「そうですよ。クラスメイトの顔と名前くらい覚えてください。今何月だと思ってるんで
すか」
「…」
「何ですか。その気持ち悪い笑顔は」
 篠は自分の頬を両手で抑える。自然と緩んでいたらしい。
「や。いつもの委員長だぁーって思いまして」
「はい?」
「だってさ、委員長。最近屋上来ないから。俺、嫌われたのかなー、と」
「元々好きではないですよ」
「うあっ。ひど!」
 今のはかなりぐさっときた。
「で、今の何」
「いえ…。体育祭の応援団長が決まらなくて…。一人一人にやってくれないか頼んで周っ
てるんです」
「応援団長……って…。あー、あれか」
 派手な衣装を着て派手なことをやる応援合戦。桜高校体育祭の名物らしく、毎年さぼっ
ていてその場にいない篠も写真でくらいなら見たことがあった。
「それで?困ってるんだ、委員長」
「ええ…。まぁ…」
「俺、やってもいーけど?」
「そうあなたが……って、え?」
 梢は相当驚いたらしく、大きな目をぱちくりさせる。
「…どういう風の吹き回しですか」
「わかってないね、委員長」
 篠はにっと笑ってみせた。
「俺、委員長のためなら何でもできますよ?」
「……」
「ただし、条件付」
「…何ですか」
 「やっぱりそうくるか」とでも言うような梢の視線に、篠は人差し指をぴっとたてる。
「毎日昼休みは屋上に来て、俺とお昼御飯食べてください」
「…え」
 梢は小首を傾げて見せた。
「それだけでいいんですか」
「充分充分」
 充分どころかお釣りがでるくらいだ。
「だいたいさぁ。何で急に来なくなったの」
「だってあなた、私が来ると思ってわざとさぼってるでしょう」
「ありゃ」
 舌をぺろっと出す篠。ばれていたらしい。
「私自身があなたのさぼりを促していたとは…。風紀委員長失格だと思ったわけです」
 ――それはちょっと違うんだけどな。
 梢が屋上に来ることがなければ、自分は学校にすら来ていないだろう。
「わかってないね、委員長」
「何をですか」
「こーいうこと」
 篠は梢の腕を引き、その体を引き寄せた。彼女の唇に自分の唇を軽く触れさせる。
「……は…?」
 それは一瞬の出来事。周りの生徒は一切気付いていないようだった。
 それでも確かに、触れた。唇が。
「俺さー。団長って何やるのかイマイチよくわからないんだよねー。色々と教えてくださ
いよ、いいんちょ」
 何事もなかったかのようにヘラヘラと笑い、背を向けて手を振る篠。梢は顔を真っ赤に
し、彼の背中めがけて声を張り上げた。
「九条篠!風紀を乱す者は許しませんよっ!!」
「あははははー」


 時計を見た。午後12時32分50秒。
 そろそろ彼女が来る頃だ。
 ――3、2、1……

「九条篠!今日はリハーサルですよっ。昼食を食べたらすぐに校庭に行きますからね!」


 青い空の下。
 今日も彼女は12時33分ジャストにやってくる。


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